ちょっと遠回りな東京旅行(2009.9) その2~善光寺編

(前回からの続き)

引き続き、長野のメインストリート・中央通りを北上する。
途中、昭和通り(国道19号)と交差する新田町・問御所町のあたりは長野銀座と呼ばれ、かつては長野一の繁華街だったそうだ。しかし近年は、百貨店や大型商業施設の撤退が相次ぎ、空洞化が激しいという。これもまた岐阜の柳ヶ瀬とそっくり同じだな、と思った。

さて、しばらく歩くと徐々に上り坂になっていき、舗装も石畳風になる。だんだん門前町らしい雰囲気になってきた。
中央通り

ところどころから左右に伸びる路地もまた風情があっていい。実は、長野市では2008年に「全国路地サミット」なるものが開催されたようだ。
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ここまで来ると信号の標識も特別仕様だ。

善光寺郵便局
善光寺郵便局。定番の丸型ポスト付き。こんなところで貯金してみたかったが、残念ながら今日は祝日。

善光寺仲見世通り
さらに進み、仁王門をくぐると善光寺仲見世通りとなる。土産物屋がずらりと並び、観光地らしい賑わいに溢れている。連休最終日ということで人も多い。なんかみんな一斉にカメラ目線でこっちを見ているように見えるが、おそらく、この背後にある仁王門を眺めているんだろう。多分。

ちなみにこの参道の石畳は、江戸の石工・大竹屋平兵衛の寄進により1714年に完成したもので、7777枚あるといわれている。
平兵衛には一人息子がいたが、遊びにふけってなかなか家に寄りつかなかった。ある夜、平兵衛の家に何者かが忍び込んだ。平兵衛はこれを盗賊と思って突き殺したが、その正体は息子だったのだ――。
世の無常を感じた平兵衛は、この善光寺に来て参拝を繰り返し、路面状態の悪かった参道にこの石畳を寄進したのだそうだ。

そんな悲しい伝説のある石畳を踏み進み、奥に見える三門をくぐると、いよいよ本堂が見えてきた。
善光寺本堂

牛に引かれて善光寺参り」「遠くとも一度は詣れ善光寺」という言葉でも知られるこの善光寺は、仏教が各宗派に分かれる以前から存在する、無宗派の寺院だ。また、女人禁制が多い古代の寺院の中では珍しい女性の救済を唱えている。宗派、男女を問わず、お参りすれば誰でも極楽往生できるというのがこの善光寺なのだ。

善光寺梵鐘
こちらは1667年に鋳造され、400年以上にわたって時を告げ続けている梵鐘。長野オリンピック(1998年)の開会を告げたことでも有名だ。
ちょうどタイミング良く12時になったので、鐘を鳴らしてくださった。防災無線?のチャイムの音が被ってしまったのがやや残念だが。この鐘の音は「日本の音風景百選」にも選ばれている。

善光寺では戒壇巡りをしようと思っていたのだが、連休最終日のためか長蛇の列ができていて40分待ちとのこと。ちょっと時間に余裕がないので、仕方なく引き返すことにした。その代わり、善光寺の門前にある世尊院釈迦堂が特別拝観日なので、等身大の釈迦涅槃像(国指定重文)を拝観することができた。

さて、賑やかな仲見世通りもいいが、帰りは1本東側のひっそりした道を通ることにした。
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善光寺の公式サイトによると、「釈迦堂通り」、「法然通り」という名前が付いているそうな。こちらは人通りが少なく静かで、宿坊がずらりと並ぶ景観はなかなか風情がある。


次回は繁華街の権堂(ごんどう)地区を歩いた後、長野電鉄(ながでん)に乗って再び長野駅を目指します。

(続く)
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Comment

善光寺さんは無宗派って言っても天台宗大勧進+浄土宗大本願だから、まさしく江戸幕府による統治って感じだよね(寛永寺+増上寺の組み合わせ)
戒壇めぐりは、甲斐善光寺さんがほとんど人がいなくておすすめ。

おお、こちらでは初めまして。
なるほど、善光寺が本格的に再興して全国から参拝客が集まるようになったのが江戸時代で、ちょうどその頃から天台宗と浄土宗による運営になったってことですか。
甲斐の善光寺さんも有名ですよね。うちの近所だと飛島や祖父江にもあります。最寄り駅によく幟が立っているので、意外と身近な存在だったりします。
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