犬山市・明治村へ(本編その1)

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明治村の正門前回の記事で書いた通り、もともとは旧制第八高等学校の正門だったものだ。
ここに着いた時点でもうお昼の12時。それまで一体何をしていたのやら・・・


3月23日、犬山市の博物館明治村に行ってきた。前回の記事では犬山駅から明治村まで向かう長い長い道のりを紹介したが、今回はいよいよ正門の中に突入しよう。
明治村の内部は1丁目から5丁目までの5つのゾーンに分かれ、68棟ある歴史的建造物にはそれぞれ1番地から68番地までの番号が振られている。それぞれに関する解説は博物館明治村公式ホームページを参照していただくこととして、ここでは特に印象に残った建物や風景を中心に紹介していこう。
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▲まずは三重県尋常師範学校・蔵持小学校(1丁目3番地)で。奥に村営バスが走っている。
建物の中は昔の学校の教室が再現してあり、当時の教科書なども展示してあった。


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▲「森の小径」という山道を通り抜け、次は聖ヨハネ教会堂(1丁目6番地、重要文化財)へ。
1階はかつて幼稚園として使われていたようで、幅の広い大きな絨毯の滑り台がある。小学校の遠足で来たとき、この滑り台でどったんばったん暴れて遊んだ記憶が13年ぶりに蘇ってきた。あの頃はここが教会だったとは、そして重要文化財だとは全く考えもしなかったなぁ・・・。
雨降りのこの日は、誰もいなくてひっそりとしていた。

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▲2階は礼拝堂になっている。建物の正面のステンドグラスが美しい。


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西郷從道邸(1丁目8番地、重要文化財)の寝室。まさに当時の人々が憧れた洋風の生活様式だ。
ここも小学校の遠足で来たはずだが、どんな建物だったか全く覚えていなかった(名前だけは覚えている)。窓の外に和風建築が見え、今年1月に行った文化のみち橦木館を思い出す。

「偉人坂」を下り、次は2丁目エリアへ。明治時代のベストセラー小説「食道楽」に書かれているレシピに従って調理されたという、食道楽のカレーぱんをいただく。


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札幌電話交換局(2丁目21番地、重要文化財)。晩年は札幌中央郵便局として使われていたそうだ。
建物内には昔の電話通信技術などについて展示されていた。昔は電話の掛け手と受け手の回線を手作業で繋いでいたようだ。「電話交換」という言葉は聞いたことがあったが、なるほど、と納得。


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▲2丁目エリアをまっすぐに貫くレンガ通り。通り沿いには千早赤阪小学校講堂、第四高等学校物理化学教室、京都中井酒造、東松家住宅などが建ち並び、明治村のシンボルロード的存在になっている。奥に見えるのは東山梨郡役所。
千早赤阪小学校講堂は「立体写真館」となっていて、明治時代に撮影された立体写真がたくさん展示されていた。左右の目で別々の写真を見ることによって立体に見えるというアレだが、明治時代にもあったとは驚き。


京都市電(第貳)。「品川燈台」・「京都七條」・「名古屋」の3つの駅があり、実際に村内を移動するための交通手段として利用できる。運賃は大人300円だが、乗物一日券を買えば蒸気機関車・村営バスと合わせて1日中乗り放題になる。広い村内を移動するのに便利だ。
2丁目にある「京都七條」駅から、4丁目にある「名古屋」駅まで、約5分で到着した。



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尾西鉄道蒸気機関車1号(4丁目42番地)。
尾西鉄道というのは明治時代の1898年から1900年にかけて、愛知県の弥富と一宮の間に開通した鉄道。現在の名鉄尾西線にあたり、名鉄の中では最古の歴史を持つ路線だ。毎日利用している馴染みの路線に、100年以上前に走っていた機関車ということで、数ある展示物の中でも特に印象に残っている。


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宇治山田郵便局(4丁目46番地、重要文化財)。ここは明治村の中でもかなり有名な建物。実際に郵便局として営業しているので、オリジナルの風景印が入った葉書を送ることができる。
玄関には立派なしめ縄が飾られているが、宇治山田(三重県伊勢市)の周辺では一年中しめ縄を付ける習慣があるのだそうだ。

さらにこの郵便局は郵便業務だけでなく、なんと貯金業務も取り扱っている。そう、今回明治村を訪れた動機の一つは、この郵便局で貯金することにあった。建物は「宇治山田郵便局」として公開されているが、正式には「博物館明治村簡易郵便局」として営業されている。ゴム印もそれに従っていて、宝印ではないものの、いい記念になった。よく考えたら、3局連続で簡易局というのもなかなか珍しい経験だ。

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▲窓口の奥は明治村内郵政資料館というちょっとした展示スペースになっていて、歴代のポストが展示されている。中央右側のと同じタイプのポストは、韓国の釜山で見たことがある。明治末期、日本が統治していた時代に建てられたものだろう。

ところで、山口県には日本最古の現役郵便局舎である下関南部町郵便局というのがある。私は3ヶ月前に、みるくさんはつい1週間前に訪れたばかりだ。調べてみたら、こちらよりも9年先輩の1900(明治33)年築のようだ。だが、あちらは登録有形文化財、こちらは重要文化財である。文化財的な価値はさまざまな要素が絡み合って決まるのだろう。いずれにしても、末永く大切にしていきたいものである。

再び「名古屋」駅に戻り、今度は蒸気機関車に乗った。

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蒸気機関車12号+三等客車(ハフ14・ハフ11・ハフ13)。こちらの機関車は実際に動いていて、京都市電と同様に村内の移動手段として利用できる。「名古屋」駅と「東京」駅を結んでいて、「名古屋」駅では京都市電と乗り継ぐこともできる。
イギリス製の12号は当初、日本最初の鉄道開通区間である新橋-横浜間を走っていたもので、1911(明治44)年からは尾西鉄道(のちに名古屋鉄道)で走っていたそうだ。時期によっては12号の代わりに、アメリカ製の9号が運行に就くこともあるようだ。


▲名古屋駅を発車。駅名板も凝っていて面白い。

名古屋駅から東京駅へは5分ほどで到着した。新幹線もビックリの速さだ。
・・・ではなくて、明治村内の「名古屋」駅と「東京」駅は約800mほどの距離。大体時速10kmほどという計算になる。そう考えると、別の意味でなかなかの速さだ。
そして、東京駅で列車から降りると、名古屋駅よりも雨が激しかった。本当に遠くに来た気分だ。


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▲終点の東京駅に到着すると機関車は客車から切り離され、ターンテーブル(転車台)を回転させて方向を転換する。ちなみにこのターンテーブル、なんと人力。これは大変そうだ・・・。
その後、機関車は機回し線を通って客車の反対側に移動し、再び客車と連結する。現代の鉄道ではなかなか見られない、マニアにはたまらない光景だ。

次回の記事では、「東京」駅の周辺を散策します。

(続く)
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Comment

まだかまだかと続きを待ってました(笑)
私も小学校時代の遠足以来20年くらい行ってませんね。
今は亡きヒゲの車掌さんの案内でN電に乗った事を覚えてます。
洋装のコスプレができると聞きましたがやってみましたか?

>9丁目1番地さん

ヒゲの車掌さんはちょっと記憶にないですが、七條巡査派出所にいたヒゲのお巡りさんなら覚えてます。確かサインもしていただいたような…
コスプレも出来るんですね。知りませんでした。ちなみにハワイ移民集会所にあったアロハシャツのカキワリなら撮りましたよ(笑)

下関南部町郵便局舎、たぶん日本郵政が、内装を改造したかった(or してしまった)から、登録文化財なんでしょうね、きっと。

ところで「宝印」ってなんですか?宝篋印塔に書いてある梵字を想像しているんですが、たぶん違うものですよね。

>きがないさん

猛烈に忙しくて返信が遅くなってしまいました。
確かに下関南部町局、内装はかなり現代風でしたよ。やはりそのあたりに理由があるんでしょうか。
「宝印」というのは、局名以外に文言やイラストなどが入った局名印のことです。ごくまれに出くわすことから、旅行貯金者の間ではまさに「お宝」のような存在なんです。あんなものを想像されていたとは…笑

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