日韓友好の村 大邱・友鹿洞(ウロクトン)

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朝の釜山港。ホテル東横イン釜山中央洞の客室より撮影。

(前回からの続き)

韓国旅行3日目のこの日は、釜山からKTX(韓国版新幹線)に乗り、大邱(テグ)という街に向かった。釜山からは100kmほどの距離で、ちょうど名古屋から京都に行くような感覚だ。
大邱は、ソウル、釜山に次ぐ韓国第三の都市と位置づけられているが、その割には影が薄く、観光客も少ない。まさに韓国の名古屋ともいうべき存在で、以前から興味を持っていた。

しかし、大邱に行く目的はこれだけではなかった。

16世紀の末、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、続いて明への進出を目論み、その足がかりとして朝鮮に兵を出した。これを日本では「文禄の役」、韓国では「壬辰倭乱(イムジンウェラン/임진왜란)」と呼んでいる。この戦いに加藤清正軍の先鋒として出陣しながら、「こんな不義の侵略に従うわけにはいかない!」と主張し、日本人でありながら朝鮮側に投降帰化した武将がいた。日本名を沙也可(さやか)と言ったそうだ。
彼はその後、朝鮮でさまざまな功績を挙げ、金忠善(キムチュンソン/김충선)という名を賜り、また自ら号を「慕夏堂(モハダン)」と名乗った。そして、現在の大邱郊外にあたる友鹿洞(ウロクトン)という山村に定住し、今でもその村には彼の子孫たちが暮らしているのだという。

大邱に来た理由の一つは、この友鹿洞を訪ねるためだった。

さて、ホテルの送迎バスは日曜日は運行されないので、この日はタクシーで釜山駅まで移動した。これがまた陽気な運転手で、激しい釜山訛りで「釜山駅から汽車に乗ってどこへ行くんだ?」と聞かれたので、「東大邱まで」と答えると、「そうか。それなら東大邱までタクシーで行こうか?」と朝からコリアンジョークを飛ばしてくれた。

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▲釜山8時00分発のKTX(116列車)ソウル行き。予想通り混んでいて、ほぼ満席だった。

KTXには、「KTX mini」というKTXを模した犬?のような子ども向けキャラクターがあるらしく、釜山駅やソウル駅の構内にはKTX mini専門の売店があった。また、車内ではKTX miniによるマナー啓発アニメが流れていた。日本にも新幹線のキャラクターがあるが、あれは確かサンリオのオリジナルキャラクターだったと思う。

東海南部線に乗ったときと同じカヤグムの「Let It Be」とともに、釜山駅を静かに出発した。KTXには以前にも一度乗ったことがあるし、車内の雰囲気も取り立てて変わった点もないので、あまり感動がない。また、今回乗る区間は、高速鉄道といえども在来線区間をそのまま走るだけなので、一般の特急列車に乗るのと同じような感覚だ。
ただ、前日に乗った東海南部線と比べると、通過する駅はどの駅もそれなりに立派だ。特に亀浦(クポ)駅はごちゃごちゃとした住宅密集地の中にあり、本線の外側に待避線が設けられた島式2面4線の橋上駅舎で、まるで日本の私鉄の駅のような雰囲気だ。

亀浦を過ぎると、広大な洛東江(ナクトンガン)に沿った田舎の風景の中をしばらく走り、慶全線との分岐駅である三浪津(サムナンジン)を通過した。慶全線は電化の準備をしているのか、まだ架線が張られていないピカピカの架線柱が並んでいた。さらに田舎の景色は続き、ちょっとした街が見えてきたと思ったら密陽(ミリャン)を通過。川の崖に建つ嶺南楼(ヨンナムル)も車窓から見えた。
このあたりから山間部に入っていき、しばらくして平地に出ると徐々に大都市近郊の景色になってきて、9時03分、東大邱(トンデグ)駅に到着した。

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東大邱駅構内。釜山駅やソウル駅によく似ている。
市街地の中心にある大邱駅に対して、この東大邱駅は長距離列車の発着駅になっている交通の中枢だ。そのため、駅というよりは空港のような、日常離れした雰囲気だ。
大邱では2011年に世界陸上が開催されるらしく、そのことをアピールする横断幕があちこちに掛かっていた。

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東大邱駅前風景。何だかだだっ広くて、本当に駅というより空港みたいな雰囲気だ。

今から向かう友鹿洞の中心部には、金忠善の功績を伝える鹿洞書院(ノクトンソウォン)が建っている。東大邱駅からは20kmほども離れた山奥なので、駅前からタクシーに乗って行くことにした。ところが、観光案内所の人も、タクシーの運転手も、鹿洞書院のことを知らないという。一体どれだけマイナーなところに行こうとしているのか…。幸い電話番号がわかっていたので、なんとか向かうことができた。

東大邱駅を出ると、東大邱路(トンデグロ)という片側5車線くらいの巨大な道路をひたすら南に向かって走り始めた。徐々に山に近付いてくると、粉雪が降り始めた。韓国で雪を見たのはこのときが初めてだった。
寿城池(スソンモッ)という大きな池の前を過ぎると、だんだん郊外から田舎の景色になっていった。日本の県道のような4車線の幹線道路を10kmほど走ると、ようやく「鹿洞書院」の標識が見えてきたので、そこから脇道に入ると、ほどなく鹿洞書院に到着した。東大邱駅から30分くらい、タクシー代は18,000ウォンだった。

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▲まずは、鹿洞書院の隣に建つ忠節館(チュンジョルグァン)へ。

事前に連絡してあったので、大邱広域市の文化観光解説士の李さんという女性が迎えてくれた。このときの来客は私一人だったので、最初から最後まで李さんが付きっきりでガイドしてくれた。日本語がとても流暢な、親切な方だった。

忠節館の内部はちょっとした資料館になっていて、金忠善の残した言葉が書かれた屏風がずらりと並んでいた。最初に解説ビデオ(日本語)を見て、続いて館内の展示品を見学した。金忠善の思いが記された慕夏堂文集や、金忠善によって朝鮮にもたらされた鳥銃などが展示されていた。

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始祖・金忠善からの代々の家系図
儒教思想の根付いた朝鮮の人々は、祖先を敬う気持ちが強く、戦乱や災害のときは必ず真っ先にこの家系図を持って逃げたのだという。

日本のどこから来たのかと聞かれたので、愛知県からと答えると、李さんが1枚の新聞記事を見せてくれた。1998年に金忠善の子孫一族が初来日し、愛知県の新城市役所を訪れたという東海日日新聞(愛知県東三河のローカル新聞)の記事だった。
この友鹿洞は司馬遼太郎の「街道を行く」でも紹介されており、それを読んで興味を持った新城市の教育長がこの地を訪れて感銘を受け、その後学生たちも連れて来たのだという。それから新城市との交流が始まり、この忠節館を建設する際には新城の日本人から後援金も出されたそうだ。

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▲続いて鹿洞書院へ。金忠善の功績を称えるために、全国の儒学者らによって1794年に建てられた。
書院というのは朝鮮時代の教育施設のことだが、朝鮮末期の大院君の時代には書院撤廃令が出され、一時期閉鎖されていたという。

この鹿洞書院には韓国人観光客も多く訪れるそうだが、日本人観光客がよく来るということを李さんが話すと、「なぜ祖国を裏切ったような人(金忠善)のことをわざわざ見に来るのか」と韓国人は不思議がるのだという。しかし、「裏切ったのではなく、ただ自分の考え方が国家の考え方に合わなかったということ。北朝鮮から脱北して韓国にやって来る人と同じ。平和を大切にしようとする気持ちの表れだ」と李さんが説明すると、彼らは感心して納得するのだという。もし金忠善のような人物がいなかったら、朝鮮側も日本側も被害が大きくなっていたことだろう。平和とは何かを考えさせられるエピソードだ。

その後、書院の隣に建つ、金忠善の霊を祀る鹿洞祠(ノクトンサ)へ。

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金忠善の肖像画。想像で描かれたものだが、子孫たちの証言をもとにしているので、ある程度は当たっているのだろう。
写真ではわかりにくいが、胸に付けられた刺繍(胸背)には鶴の絵が描かれている。通常、武官なら虎や龍、文官なら鶴が描かれることになっている。金忠善の場合は武官にもかかわらず鶴が描かれているが、これは将軍でありながら平和を望む人だということを示しているのだという。

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▲鹿洞書院の前に建つ神道碑。壬辰倭乱400周年を記念し、1992年に建てられた。
この隣には、金忠善をテーマとした文化交流施設が国の補助金で間もなく建設されるそうだ。金忠善に興味を持ってこの地を訪れる観光客が増えるのは良いことだが、せっかく閑静で風情のあるこの環境が失われてしまうのではないかと少し心配だ。

金忠善は元日本人ということで、それなりに肩身の狭い思いをし、このような奥地を選んでひっそりと暮らしたのだろう。日本人だとバレて迫害を受けないように、子孫たちには、出世して目立ったりすることなく黙々と農業に励め、と言い残したそうだ。しかし、今ではやはり子孫たちの中からも出世する人がたくさん出てきて、大臣や、ソウル大学の教授などもいるという。だが、その人たちも地位に驕ることなく、自分たちのルーツであるこの村を訪れて、記念品などを寄贈して行くのだそうだ。どんなに出世しても親類一族を大事にするのが韓国人の良いところだ。日本人も昔はそうだったのだろうが、今はどうだろうか。

最後に、書院の裏山にある慕夏堂墓(金忠善のお墓)に向かった。
途中まで険しい山道が続いたが、急に山を削った赤茶けた道路になった。これはちょっと風情がないが、子孫たちが墓参りをするのが大変なので、車でも上がっていけるように工事をしているのだそうだ。全国に散らばった子孫たちは毎年必ず墓参りに訪れるのだという。

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手前から順に金忠善、本妻、側室のお墓
本妻と側室は死んだ後も嫉妬し合うので、お墓の位置も若干離れているんだとか。

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お墓の全景。下段には金忠善の息子たちのお墓が並んでいる。

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▲お墓の近くからは、友鹿洞の集落がよく見渡せた。
お墓を山の中腹に造る理由は、死後も子孫たちを見守ることができるため、そして風水的な理由からだという。

しばらく晴れていたが、また粉雪が降り始めた。大邱ではこれがこの冬の初雪だったそうだ。ちなみにこの日の大邱は、最高気温3度、最低気温-3度だったようだ。

帰りは大邱の市内までバスで戻ることにした。バスは30分間隔で運行されているようなので、次のバスの時間までしばらく友鹿洞の集落を散策してみることにした。

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友鹿洞のメインストリート
左側の銀杏の木は、金忠善を記念して子孫たちが植えた「金忠善の木(キムチュンソンナム)」。樹齢は200年になるという。木の枝に付いているこぶのような塊はカチ(カササギ)の巣だ。

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カチ(カササギ)。韓国では縁起の良い鳥とされている。

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▲本当に静かな村だ。街道沿いではなく行き止まりの集落なので、通過交通がないという理由もあるだろう。

私の住む名古屋は、豊臣秀吉と加藤清正の故郷であり、それぞれにちなんだ「太閤通り」、「清正公通り」という道路もある。まさに郷土の英雄とされているわけだ。ところが韓国では、秀吉も清正も悪名高い「侵略者」であり、子どもを叱るときには「清正が来るぞ!」と言ってビビらせるのだという。考えてみれば当たり前のことだ。
国と国がある限り、利害がぶつかり合うのは仕方のないこと。しかし、お互いの立場を越えて平和を求める金忠善の教えにこそ、学ぶべきものがあるのではなかろうか。

文化観光解説士の李さんは、「大邱には有名な観光地が少ないと言われるけど、こういう興味深いところもあるんです。“見る”観光ではなく、“考える”観光ができるのです」とおっしゃっていた。そして大邱には、この鹿洞書院の他にもう一つ、日本と深い関わりを持つ史跡があるのだという。それが、ここに来る途中に何気なく通り過ぎたあの寿城池(スソンモッ)だ。
大邱は昔から雨の少ない気候で、農業には不向きだったが、日帝時代(日本統治時代)に岐阜出身の水崎林太郎という日本人が灌漑のためにこの池を作ったのだ。水崎は72歳で亡くなるまで大邱の農業発展に尽力し、池のほとりに建つ水崎の墓は今も地元の人々によって守られているのだという。
そんなわけで、この鹿洞書院と寿城池を2つの拠点として、大邱を日韓友好の先進都市にしようという動きがあるようだ。

日韓両国の間に、本当の意味で平和な友好関係が築ける日が来ることを祈りつつ、市内方面行きのバスに乗り友鹿洞を後にした。


次回はいよいよ大邱の中心部を“街歩き”します。

(続く)
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Comment

こうしたところがあったというから興味深くよく見ました。
キム・チュンソンに対してもう少し調べてみると,当然だろうが日本ではものすごい反逆者で取り扱いされたし,日帝時代には朝鮮人が作り出した話とまで取り扱いされたといいますね。

明らかに彼自身も祖国を背を向けることになる判断に対して大きく迷ったことと見なされます。 だがそのようにしながらも平和を守ろうと思った彼の心がどうだったかもを考えてみます。

日本を称して'近くて遠い国'とある表現を見たことがありました。 最近韓日間文化開放をはじめとして交流が多くなってこのような表現はますます見つけるのが難しくなりましたが,この記事を見て真の韓日友好に対してもう一度考えてみることになります。

お久しぶりです。研修お疲れさまでした。

仮にも祖国を裏切ることになり、朝鮮でも最初の頃は捕虜のように扱われたということで、非常に勇気のいる行為だったと思います。平和のためとはいえ、なかなか出来ないことですね。

「近くて遠い国」という表現は、少し前まで日本でも韓国に対してよく使われていました。
これからは浅田真央選手と金妍児選手のように、よきライバルとして互いに発展していってほしいです。

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>鍵コメさん

お役に立てていただけたようで、こちらも嬉しいです。
実は、しばらく放置しているホームページの方を近日中、久々に更新する予定です。その折には大邱の記事も追加する予定ですので、よろしければまたご覧ください。
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