二つの顔を持つ街・四日市~JR編(2009.11.21)

先日、高校時代の友人に会うため、三重県の四日市を訪れた。
弥富駅からJR関西線の普通電車に乗り、四日市駅には待ち合わせの約束よりも1時間あまり早い7時48分に到着した。
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JR四日市駅

四日市には、JRの「四日市駅」と「近鉄四日市駅」があり、両者は1kmほど離れている。しかし、単純に「四日市駅」と言った場合、通常は近鉄の方を指す。
三重県内の鉄道事情はほとんど近鉄の天下と言ってもよいくらいで、本数が少なくて不便なJRは苦戦を強いられている。もちろん、JRもただ手をこまねいているわけではなく、最近はダイヤが改善されつつあり、区間によっては近鉄より運賃が安いことから、徐々に利用者は増えつつある。
そうは言っても、四日市の市街地は近鉄の駅を中心に形成されており、JR四日市駅の周辺は今や「街外れ」となっている。
JR四日市駅
JR四日市駅の構内
駅舎は大きくて広いが、閉鎖されている部分がほとんどで、いつ来てもがらんとしている。吹き抜けの2階にはレストランのような空間が見えるが、すでに閉店しているようで、侘びしさが漂っている。
国鉄時代はこの路線にも多くの優等列車が設定されていたようで、かつては汽車を待つ人々で賑わったのだろう。

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JR四日市駅前風景。30万都市の駅前にしてはあまりに寂しすぎる光景だ。土曜日の朝なので人通りもまばらだ。久々に友人に会いに来たのに、朝からたそがれてしまいそうだ。

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JR四日市駅前から北に伸びる、新町通り。このあたりは3階から4階建てくらいの年季の入ったビルが林立しており、かつての繁栄を感じさせる。しかしテナントはほとんど撤退してしまっているようだ。

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新町通りの1本東側、JRの線路のすぐ横に伸びる通り。このあたりはかつては歓楽街だったのだろうか。飲食店が集まっている。

そして、この通り沿いでこんなところを見つけた。
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おおっ!探検してみたくなるような路地!よく見ると、上部に「三和商店街」と書いてあるのが読める。
「明るい商店街」の文字もむなしく、中に入るのを躊躇するような薄暗さだ。

四日市・三和商店街
勇気を出して中に入ってみると、そこには半世紀前にタイムスリップしたような空間が広がっていた。四日市には何度か来たことがあったが、こんなところがあるとは知らなかった。しかし、朝からえらいところに来たものである。
壁が崩れかけているのか、ところどころブルーシートで覆われているのが痛々しい。

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これは映画のセットではなく、紛れもない現実の世界である。
飲食店ばかりのように見えるが、「商店街」と名乗っているように、看板などを見るとかつては一般のお店も何軒かあったことがうかがえる。

四日市・本町通り商店街
三和商店街を北に抜けると、片屋根式アーケードの設置された本町通り商店街に出てきた。
「本町」という名前からもわかるように、昔のメインストリートといった雰囲気で、ここもなかなか風情がある。アーケードに隠れて気付きにくいが、歴史のありそうな町家もところどころに残っている。

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土曜日の朝早くなのでシャッターを下ろしているお店が多かったが、昔ながらの魚屋さんが店の準備をしていた。

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アーケードの軒下には、江戸日本橋から京都三条大橋まで、東海道五十三次の各宿場の浮世絵がずらりと並んでいた。どうやらこの道は、旧東海道の四日市宿にあたるようだ。

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こちらは、本町通りの西端から北に伸びる新丁通り。駅前で見た新町通りの延長上にあたるのだが、本町通りとの交点より南を「新町通り」、本町通りとの交点より北を「新丁通り」と呼び分けているようだ。
街灯にさりげなく取り付けられた「新丁通り」という看板がちょっと洒落ている。こういう看板は各地の商店街で見かけるが、なかなか味わい深く、街並みにちょっとしたアクセントを加えていることが多い。専門的には「タウンサイン」というらしく、こちらのブログでは本格的に研究していらっしゃるようだ。なかなか奥の深い世界だ。

さて、本町通りを西へ進み、近鉄四日市駅の方に向かって歩く。新丁通りとの交点を過ぎてしばらくすると沖の島町商店街となり、三滝通りとの交点を過ぎると諏訪新道商店街となる。
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諏訪新道商店街。片屋根式アーケードが設置されているが、新しいマンションが多く、商店街から住宅街に変貌しつつあるように見える。

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諏訪新道商店街を西に進むと、国道1号にぶつかった。
四日市の街は、大まかに言うと西から順に近鉄名古屋線、国道1号、JR関西線が並行して南北に通っている。つまり、国道1号の西はJRよりも近鉄に近いエリアであり、今まで歩いてきたJRに近いエリアとは全く異なる景観が広がっている。


ということで、次回は四日市の街の持つもう一つの顔、近鉄四日市駅周辺の景色をお送りします。

(続く)
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Comment

確かに桑名、津、松阪、伊勢、鳥羽ではJRと近鉄がくっつくものの四日市だけは離れているんですよね。臨海工業が発達しているので海に近い位置に作る必要があったのかもしれません。実際に降りたことはないのですが、個人のお店で成り立っている町並みなんですね。私鉄が隣接していないJRの駅はこういうパターンが多い気がします。三和商店街はいかにもまっちさんが好きそうなところって感じですね。これだけ飲食店が密集していて長年続いているというのはみな火事を出さないようにとても注意しているってことなんでしょうね。こちらのブログさんなどまちを研究観察されてる方は多いんですね。朝も山崎川でググってたらいろいろ出てきました。個人的にはまちというのは産業ありきだと思っています。この点、近年グロ―バル社会が進んだことでまちと産業のバランスが崩れてきているわけです。ただし、将来的に国債が破たんして緊縮財政になるとこのバランスがさらに崩れるのではないかと懸念しています。杞憂だといいんですけどね。話がそれましたが、要はまっちさんのブログが貴重だということです(^^;)

昔は近鉄が今のようにまっすぐではなく、わざわざ急カーブで国鉄の四日市駅に乗り入れていたようです。そのカーブを解消するため、当時は街外れだったところに新しく作ったのが今の近鉄四日市駅というわけです。今では完全に立場が逆転していますね。
狭い路地が入り組んだ商店街や飲食街において、火事は一番の大敵です。実は、今回書かなかった近鉄四日市駅近くのアーケード商店街では、ここ数年で2回も大きな火事に遭っているそうです。防災やバリアフリーと街並みの風情を両立させるのは本当に難しい課題だと思います。
経済のことはあまり詳しくないので偉そうなことは言えませんが、今の状況が続くのは決していいとは思えないですね。せめてもの記録をと思い写真を撮り続けているわけですが。ただ、効率ばかりを優先して無駄なものを排除していくと、最終的には遊び心の無いつまらないものになってしまいます。これは街づくりに関しても言えることでしょう。

四日市出身の者です。

記事内に「どうやらこの道は、旧東海道の四日市宿にあたるようだ」とありますが、この付近は旧東海道も通ってないし、四日市宿の宿場町でもありませんでした。
ただし江戸時代後期に熱田神宮の宮宿から直接船で渡る十里の渡しが流行るようになってからは、港付近に宿場があった可能性もあると思いますが、調べてもよくわかりませんでした。
いずれにせよ、当時栄えていたのは、現在の国道1号線と近鉄名古屋線に挟まれた元町、諏訪栄町の辺りです。近鉄四日市駅の北東の辺りです。
その辺りから旧東海道を北にたどった、現在もなが餅の笹井屋のある当りに本陣がありました。代官所はその西の辺りです。

また、もともと省線の関西本線が出来た頃は蒸気機関車の時代で、各地で煙害のために繁華街への線路の敷設を断念した頃です。だから煙害を避けるためJR四日市駅は当時としては街の外れにあるのです。名護屋駅も繁華街の西のはずれの低湿地に作られてます。(中区と東区にあたる地域がその直後に名古屋市になっている)
港への引込線が出来たのは、戦中に海軍の第二燃料工廠が出来た時ですし、場所は今の海山道駅の辺りです。それ以前も現在四日市工業高校があるところに大きな紡績工場があって、四日市駅よりずっと南寄りの所が商業港、工業港として栄えてますから。

それから省線が出来てから、三重鉄道(現在の近鉄湯の山線)、四日市鉄道(現在の近鉄)が西から、上に書いた諏訪栄町に作った諏訪駅を介して、省線四日市駅まで線路をつなぎました。
この線路を、四日市駅と津駅の沿岸部を鉄道で繋ぐことを目的とした伊勢鉄道が、伊勢電気鉄道となって名古屋と伊勢神宮を繋ぐことを目的とした時に、資金減から既存の線路を買収、利用することになったのです。今は近鉄も直線化したのでありませんが。

返信が遅くなりまして申し訳ありません。
詳しいコメントありがとうございます。
本町通り商店街は省線四日市駅開業後に発展したようで、旧東海道とは関係なさそうですね。
ではなぜ旧東海道をモチーフにしたタウンサインなのかという疑問も残りますが。。
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