被災地・三陸を訪れてⅣ-釜石編~終わりじゃない、これから始まるんだ


 ▲岩手県釜石市のメインストリート、県道4号(只越町商店街)。このあたりも被害は甚大だった。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

「被災地・三陸を訪れる旅」シリーズも、いよいよ今回が完結編。
前回の記事で紹介した大船渡から三陸鉄道の列車に揺られ、釜石(かまいし)の街に到着したのはすでに夕方のことだった。
製鉄業で栄えた釜石市は、1978年に花巻市に人口を抜かれるまで岩手県第二の都市としてその名を轟かせていた。最盛期の人口は約9万人で、地元資本のデパートが林立していたというが、製鉄業の衰退とともに人口も減少。震災直前の2010年で約3万9千人、そして現在は約3万6千人にまで落ち込んでいる。
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 ▲到着したのは三陸鉄道の釜石駅
JRの大きな駅舎にちょこんとへばり付いている形態は、前回の記事に出てきた盛駅とよく似ている。小さな駅ではあるが、「鉄道むすめ」や「鉄道ダンシ」などのキャラクターグッズが売られていたり、大きなジオラマが置かれているなど、復興に向けた賑わいが演出されているのを感じた。

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 ▲ホームには、製鉄業で繋がりのある姉妹都市、愛知県東海市からのメッセージが飾られていた。

日没までまだ1時間ほどあるので、少しだけ釜石市街の街歩きをしてみることにした。
釜石駅の駅前は、巨大な製鉄所が広がっていて商店がほとんど無く、あまり駅前らしい風景ではない。中心街は、駅前からガード下をくぐって大渡橋を渡った先、大渡川(甲子川)の向こう側に広がっている。

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 ▲大渡橋を渡ったところから始まるメインストリートの県道4号、大渡商店街

衰退して寂れきった街を想像していたが、このあたりは大きなビルも多く、街並みに貫禄があるように感じられる。山に囲まれて平地が少ない分、建物の密集度が高いのも理由の一つだろう。
また、転勤族が多いためか、どことなく地方都市らしからぬ垢抜けた印象を覚える。小綺麗に整備された街並みも、税収の良さを物語っているようだ。
さらに、これを良いと捉えるか悪いと捉えるかは別として、東京資本のチェーン店が目立つのもこの街の特徴だ。とにかく、気仙沼や大船渡のような泥臭さが、この街にはあまり無い。


 ▲しかし、海に向かって歩いているうちに、だんだん空き地が増えてきた。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

津波により多くの建物が取り壊され、片屋根式アーケードも撤去されたようだ。左端のビルの壁面に小さく見える青い標示は、東日本大震災の津波浸水深を示している。大体6mほどの高さだろうか。
このあたりには、「歩道に段差や障害物があるので通行に注意して下さい」という注意書きがあちこちに立っていた。実際、震災の影響か、歩道がガタガタになった箇所があちこちにあった。

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 ▲県道4号沿い(只越町商店街)で特に衝撃的だったのが、この「桑畑書店」さん。
これは、あえてこの姿のまま残してあるのだろうか。津波の恐ろしさを改めて実感する。ちなみにこのお店、釜石で最も歴史の古い本屋さんとのことで、現在は復興商店街「青葉公園商店街」で営業を再開されているようだ。


 ▲県道4号の裏手、大町の一角で。この場所にはかつて、風情ある飲食街「呑ん兵衛横丁」があった。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

市民に愛され、釜石の観光スポットにもなっていた「呑ん兵衛横丁」。津波で流された今は、釜石駅近くの復興商店街「釜石はまゆり飲食店街」で営業を再開しているようだ。夕食はぜひそちらに立ち寄ってみよう、と心に決めた。

さて、この後は、このすぐ近くにある「イオンタウン釜石」に立ち寄った。今年3月にオープンしたばかりでまだ新しく、人口3万人あまりの街にしてはけっこうな賑わいだった。ただ、このイオンタウンの存在、復興支援になるという意見と、地元商店から顧客を奪うという意見があって、賛否両論が渦巻いているという。

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 ▲イオンタウンから出ると、もう日が暮れていた。暗い山の中腹に点々と光が連なっている。
何かと思って近付いてみたら、「薬師公園 桜まつり」とのことだった。ただ、桜はすっかり散ってしまった後で、まったく人気が無い。5月だというのに肌寒く、暗闇の中に突然お寺や神社が現れるし、隣は巨大な病院だし、まるで肝試しをしているようだった。

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 ▲薬師公園の頂上まで恐る恐る上がってみたら、釜石の街が一望できた。
頂上はちょっとした平らな広場になっていて、津波のときはみんなここに逃げてきたのだろうか、などと考えた。近代的なビルが建ち並び、遠くには製鉄所の光が煌々と輝いている。街は活気に満ちているように感じられるが、よく見ると海に近い方は一面が空き地になっていた。

さて、この日の締めくくりは、釜石駅近くの鈴子公園に設けられた復興商店街「釜石はまゆり飲食店街」に行ってみた。

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 ▲釜石はまゆり飲食店街。先ほど訪れた青葉通り周辺の飲食店が主に移ってきたという。
工業都市ということもあり、釜石はもともと歓楽街の規模が大きかったようだ。仮設店舗とはいえ、ど派手なカラーリングがいかにも歓楽街らしい。

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 ▲そして、あの「呑ん兵衛横丁」も、雰囲気そのままに移ってきた。
観光バスが何台も停まっているところを見ると、今も釜石観光の顔として親しまれているのだろう。ちょっと嬉しくなった。

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 ▲夕食は、呑ん兵衛横丁内の「竹寿司」さんで、にぎり寿司と熱燗をいただく。
仮設店舗ではあるが、常連さんたちで賑わっている。ご主人によると、混雑したら納得できるネタが提供できず常連さんに申し訳ないということで、マスコミの取材は一切お断りしているそうだ。ただ、最近はネット経由の口コミで遠方からのお客さんも増えているようで、有名人のサインが多数飾られていた。

食事をいただいた後、おかみさんから震災後の暮らしについていろいろと話を伺った。「復興商店街」といえば聞こえは良いが、所詮はプレハブ。いつまでここで商売を続けられるかも分からないし、新築して再出発というのも年齢的に難しいという。
また、このように店を持てる人はまだ恵まれている方で、仮設住宅で一人暮らしをしているお年寄りなどは心身ともにそろそろ限界を感じ始めているそうだ。ハード面だけでなく、ソフト面の復興支援も必要なんだと考えさせられた。

ということで、被災地を訪れる旅の二日目はこれで終わり。
この日は大渡橋近くの「ホテルマルエ」さんに宿泊した。震災直後の2011年5月から営業再開されたとのことで、随分と苦労があったことだろう。駅からもほど近く、大浴場やサウナもあり、朝食も無料というのがありがたかった。

そして翌朝。
この日は、朝からホテルの貸し自転車サービスを利用させていただき、再び釜石の街を巡ってみることにした。

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 ▲まずは、市街地の中央を南北に貫くシンボルロード、青葉通りから。
戦災復興の際に整備された、幅30mの大通りだ。石應禅寺に通じることから、1956年に「青葉通り」の愛称が付けられるまでは「寺通り」と呼ばれていたようだ。
思えば、戦災で焼け野原になった状態からここまで立ち直ったのだから、今後の復興に対する希望も湧いてくるというもの。まだまだ課題は山積だと思うが、ぜひとも頑張ってほしいところだ。

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 ▲青葉通りを北に進んだ先の大只越公園には、復興商店街の「青葉公園商店街」がある。
朝早かったのでお店はまだ開いていなかったが、多種多様なお店が入居しており、壁面にカラフルなマグネットが自由奔放に貼り付けられているのも可愛らしい。
この近くには、「大町ほほえむスクエア」というキッチンカーが勢揃いするフードコートもあった。さまざまな形で、住みよい街に生まれ変わりつつあるようだ。震災で確かに多くのものが失われてしまったけれど、何もかもが終わったわけじゃない。これから再び立ち上がろうとしているんだ。街の雰囲気から、そんな思いが感じられた。

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 ▲青葉通りの南部、旧「呑ん兵衛横丁」に近いエリア。ここは釜石随一の歓楽街。
多くのお店が津波で流されてしまった中、この一角だけは何とか無事だったようだ。


 ▲そして、再び県道4号(只越町商店街)へ。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

多くの建物が津波で流され、あるいは解体されてしまっているが、前日に訪れた陸前高田のような悲惨さではない。幸いなことに、無事な建物もけっこうある。
しかし、このような中途半端な状況がかえって復興を難しくしているとの声もある。いっそのこと、陸前高田のように真っさらになってしまった方が、街を一から造り直せるので都合が良いとも言えるようだ。どちらが良かったのか、判断は難しい。

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 ▲国道45号の高架橋をくぐったところ。このあたりは海に近く、特に被害が大きかったところだ。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

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 ▲片屋根式アーケードの商店街が、こんな姿になってしまったなんて…。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

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 ▲さらに東に進み、浜町一丁目商店街へ。震災前の賑やかな風景が今ではとても想像できない。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

もともと山と海に挟まれた狭い平地にへばり付いていたのが釜石の街。だからこそ、街の一番賑やかなところが津波に持って行かれてしまい、現在の風景は辺鄙な田舎の集落のように見える。

この後は、もう一つの復興商店街である「復興天神15商店街」に立ち寄った後、一旦ホテルに戻ってチェックアウトし、そのままJR釜石駅に向かった。

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 ▲JR釜石駅から快速「はまゆり号」で、県都・盛岡に向かった。さらば釜石。そして、さらば三陸。
ここから先は岩手県の内陸部になるので、次回更新予定の「番外編」で紹介することとしよう。

これにて、4回にわたってお送りしてきた「被災地・三陸を訪れて」シリーズは終わりです。最後までご覧いただき、ありがとうございました。
被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早く平穏な日々が訪れることをお祈り申し上げます。


※震災前の写真はすべて「多摩地区そして日本各地の画像集」の管理人様より転載許可をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
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お久しぶりです。まるかど日記の内藤です。最近あまり更新されていないようですが、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
さて、当方のブログで三遠南信の銀座ネタを書きまして、参考資料として貴サイトの三河一色のページにリンクを張らせていただきました。よろしく御了承くださいますようお願いいたします。

お久しぶりです。
通知が止まっていたようで、コメントに気付くのが遅くなりました。申し訳ありません。
ストリート名称というのは本当に奥が深くて、私がHPやブログで街の紹介をするときも特に気にしているものです。
まささんのようなプロにこうして取り上げていただけるのは本当にありがたいことです。
どうか今後もよろしくお願い致します。
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