被災地・三陸を訪れてⅡ-陸前高田編~被災地にも花は咲く


 ▲岩手県陸前高田市、旧陸前高田駅前風景。賑やかな街並みは、ある日突然消え去った…。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

前回から続く、被災地・三陸を訪れる旅の二日目。
宮城県気仙沼市の旅館を出発した私たちは、気仙沼駅前からBRT(JR大船渡線の代行バス)に乗り込んだ。GWの真っ直中だったが特に渋滞もなく、バスは風光明媚な三陸海岸沿いを順調に北上。そして、最初に訪れたのは岩手県陸前高田市(りくぜんたかたし)。先の震災で特に甚大な被害を受けた街である。
9時27分、かつて中心街のあった付近に新設された「奇跡の一本松」駅(というよりは単なるバス停)に到着。ひとまず海岸の方に向かって歩き始めた。

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 ▲海岸付近に広がっていたのは、ちょっと異様な光景だった。
ジェットコースターのような巨大な構造物が縦横無尽に伸びているが、これは今年3月に運用を開始した、土砂運搬用のベルトコンベアである。気仙川の西岸にある今泉地区の山の土砂を運んできて、津波に負けないよう土地の嵩上げをし、さらに土砂を削った高台には新しい住宅地が造られるようだ。震災のことを知らなければ、まるで何かのアトラクションかと思ってしまうだろう。

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 ▲そして気仙川には、ベルトコンベア専用の巨大な吊り橋が架けられていた。
地元の小学生により「希望のかけ橋」と名付けられたこの吊り橋は、文字通り、市民の希望の象徴なのだろう。復興への第一歩を歩み出しているということで、前向きに捉えたい。

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 ▲やがて、かつて白砂青松の景勝地として知られた高田松原の跡が見えた。
ここも津波で壊滅的な被害を受け、今は根だけが辛うじて残っている状態だ。

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 ▲そんな中、ほぼ唯一耐え残った一本の松、「奇跡の一本松」。
復興のシンボルとして多くの人々に希望を与えたエピソードは、マスコミにも大きく取り上げられたので、ご存じの方も多いだろう。残念なことに、現在は海水による痛みで枯死してしまっているが、人工的な処理を加えた上でモニュメントとして残されている。
また、背後に見える建物は、かつての陸前高田ユースホステルの跡。この建物が防波堤の役割を果たし、一本松を津波の衝撃から守ったと言われている。この建物もまた「震災遺構」として保存されるようだ。

さて、今度は1.5kmほど北に進み、かつての陸前高田市の中心街の方に向かって歩き始めた。中心街といえども、ほとんど全ての建物が津波で流され、あるいは取り壊され、ほぼ何も残っていない状態である。


 ▲ようやくたどり着いた、旧陸前高田駅跡。1934年に建てられた木造駅舎がここにあった。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。


 ▲陸前高田駅の駅前広場の跡。
ロータリーと歩道、そして駐車スペースを示す白線だけが、かつてここに駅があったことを示している。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

今は広大な平原。でも、3年前のあの日まで、確かにここは人口2万人の街の玄関口だったのだ。
ロータリーに沿ってぐるりと歩いてみたら、気仙沼で見たのと同じように、建物の基礎や玄関タイルの残骸がそのまま残っていた。また、辛うじて残された石積みの残骸に、白いペンキで「山田」と書かれているのを見つけた。かつて住んでおられた方の名前だろうか。

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 ▲駅前に放置されている巨大な構造物。
帰宅後、往年の陸前高田を紹介する写真集を見て、これがかつて高田松原野球場に建っていた照明灯だということを知った。

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 ▲かつての構内には、駅名板や時刻表、ゴミ箱、街灯、スピーカーといった備品が放置されていた。
ちなみに写真にある「さかり」駅はここから20kmほど離れたところにあり、なぜここに放置されているのかは不明である。

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 ▲ホームの跡。普通の廃線跡とは違った悲しさがある。ここに再び列車が停まる日は来るのか。

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 ▲旧陸前高田駅跡から北西を眺めたところ。
まっすぐ続く砂利道がかつての線路の跡。奥には、その線路を跨いでいた東浜街道の陸橋が見える。

続いて、駅の北側に広がっていた中心街の跡を少しだけ歩いてみることにした。

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 ▲駅前のメインストリート、陸前高田駅通り商店街の跡。
片屋根式アーケードの支柱だったと思われる柱の跡が点々と続き、点字ブロックとレンガで舗装された歩道の跡が、かつてここが商店街だったことを物語っている。


 ▲駅前の交差点から東に向かって延びる、県道141号(東浜街道)
ほぼ全ての建物が跡形も無く消え去っている中、ぽつんと1棟だけビルが残っているのが気になった。かつてのパッケージプラザ ヨネザワ(米沢商会)だ。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

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 ▲パッケージプラザ ヨネザワ(米沢商会)
震災を風化させないために、あえて建物を残しているそうだ。何の生産性も無い廃墟となった建物、維持するだけでも大変なことだろう。

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 ▲よく見ると、とんでもないところに津波到達水位が書いてあった。地上高は約14mとのこと。
ここの店主は、この煙突にしがみついて津波から逃れ、辛うじて生き延びたのだという。ぞっとするようなエピソードだ。
隣には、「忘れないよ みんなと暮らしたこの町」というメッセージが添えられている。復興して新しい街が出来上がっても、以前と同じ街並みはもう蘇らない。いろんな思いが交錯し、涙が出てきた。


 ▲陸前高田駅通り商店街に戻り、通りの北端までやって来た。
旧街道と駅前商店街が交差し、昔から一番栄えていたのがこの場所だ。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。


 ▲陸前高田のメインストリート、大町商店街の跡。
震災前の風景が、なんとも味わい深い。写真に写っているお店の方々は、今も無事だろうか。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。


 ▲陸前高田駅通り商店街と大町商店街の交点から西を眺めたところ。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

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 ▲全てが失われ、絶望的な気分になりそうな中、唯一救われる光景があった。
陸前高田のちっちゃな花畑Ⅱ 五本松花ロード」と書かれたこの花畑は、この土地に住んでいた方が住居の跡地に整備したとのこと。当たり前のことだが、被災地にも花は咲くんだ。

ふと我に返ると、どこからともなくご婦人たちの明るい歌声が聞こえてきた。どうやら道路の向かい側に設置された仮設の飲食店で、地元の方々がカラオケを楽しんでいるようだった。ちょうどお昼どき、テラスで食事をしている人々の姿は、驚くほど笑顔に満ち溢れていた。こんなに酷い目に遭っているのに、どうしてこの人たちはこんなに前向きなんだろう。

幾多の困難や絶望を乗り越えてきた先にあるその笑顔。むしろ私たちの方が勇気付けられ、元気をもらった気がした。
がんばれ陸前高田。負けるな陸前高田。一歩ずつ、前向きに、未来に向かって歩んでいってほしい。

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 ▲奇跡の一本松駅(バス停)に戻り、盛行きのBRT(三陸の「海」号)に乗り込んだ。

陸前高田の街とはこれでお別れ。次に訪れる大船渡(おおふなと)は、次回の記事でご紹介します。
(続く)

※陸前高田を題材にした絵本「まつぼっくりちゃん ありがとうをチカラに」は、ほのぼのとした絵柄ながらも強く訴えかけるものがあり、涙が溢れて止まりませんでした。ぜひとも手に取って読んでいただきたい一冊です。

※震災前の写真はすべて「多摩地区そして日本各地の画像集」の管理人様より転載許可をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
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