被災地・三陸を訪れてⅠ-気仙沼編~にぎわいこそ復興への第一歩

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 ▲宮城県気仙沼市、プレハブの仮設店舗で構成される「復興屋台村 気仙沼横丁」で。
賑やかで活気に満ちた光景を見て、少しずつ明るい気持ちになってきた。そう、被災地は悲しみの塊ではなく、日々前向きに復興に向かっているのだ。

今年の5月の連休は、「うししが丘ルネッサンス」のみるくさんとともに、宮城県北部から岩手県南部にかけての三陸海岸沿いを旅してきた。言わずと知れた、3年前の東日本大震災で大きな被害を受けた地域である。
正直、この地を訪れるかどうか、少しためらう気持ちがあった。観光、興味本位…そんな気持ちで被災地にずかずかと踏み入ることに、どこか罪悪感のようなものを感じていたのだ。しかし、帰ってきた今になって思うのは、やはり訪れて良かったということ。実際に自分の目で見て、肌で感じ、そして現地の人々の暮らしぶりを垣間見、話を聞くこと、それこそが大切だったんだと思う。
名古屋から東海道新幹線、東北新幹線を乗り継ぎ、一ノ関(いちのせき)駅で下車。ここで大船渡線に乗り換え、最初の目的地である宮城県気仙沼市(けせんぬまし)を目指す。一ノ関から気仙沼までは1時間半ほどの道中、のどかな山あいをくねくねカーブしながら進むローカル線だ。

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 ▲14時08分、終点の気仙沼駅に到着した(この写真は翌朝に撮影したもの)。
海風の影響か、列車から降りたらやたら涼しかったのが印象的だった。
この気仙沼駅は本来、大船渡線(一ノ関方面+盛方面)と気仙沼線(柳津方面)が合流する乗換駅だが、このうち盛方面と柳津方面は震災による被害のため運休中で、代行バスの「BRT」が運行されている。また、柳津方面のBRTはかつての線路の跡にバス専用道が整備され、列車と同じように駅構内のホームから乗れるようになっている。震災復興による特別措置とはいえ、画期的である。

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 ▲気仙沼駅前風景。市街地から離れているため、駅前は静かな雰囲気だ。
海岸から離れているため、このあたりは津波の被害はそれほど酷くはなかった様子。正直、「本当に震災なんてあったの?」と思えてしまうくらい、違和感のない街並みだ。

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 ▲そして、気仙沼駅前の寶屋旅館さんへ。
GWの初日ということで、大きなホテルはどこも満室、辛うじて押さえたのがこのお宿だった。昔ながらの商人宿といった趣で、決して豪華ではないが風情はある。
荷物を置いて一休みしてから、街の方に向かって歩き始めることにした。「ぜひ海岸の方を見てきて。津波で全部無くなっちゃったから」という、宿のおばあちゃんの言葉が胸に刺さる。

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 ▲気仙沼駅前から東へ、中心街に向かって延びる商店街。
駅から最初の信号までは「駅前通商和会」、そこから先は「駅前通親栄会」、さらに進むと「新町共栄会」と、組織が3つに分かれているらしく、組織ごとに街路灯のデザインも違う。
写真は駅前通親栄会。年季の入った旅館や民宿が多い。さらに、駅前通商和会の途中には飲み屋横丁のような路地もあったりして、昔はかなり栄えた都市なんだと実感する。

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 ▲駅から800mほど東に進むと三日町商店街に突き当たる(この写真は翌朝に撮影したもの)。
ここから八日町にかけてが、おそらく昔からのメインストリートなのだろう。年季の入った建物が多い。

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 ▲三日町商店街をしばらく東に進むと、気仙沼郵便局のあたりから八日町商店街となる。
金ピカの街路灯がよく目立ち、「八」の字を並べたタウンサインも凝っている。しかし、このあたりからだんだん空き地が目立つようになってきた。やっぱりここは被災地なんだ。
とある複合ビルの正面に「津波浸水深」が掲示されていたが、身長約175cmの私のおでこのあたりを示していた。それを思うと、よくぞここまで立ち直ったものだと感じる。

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 ▲そして、八日町商店街の途中から南に延びる、コミュニティ道路の一番街商店街
ここが気仙沼のメイン商店街だったようだが、先に進むにつれ、半壊状態のまま放置されている商店や、空き地が目立つようになってきた。

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 ▲一番街商店街をしばらく進むと、こんな光景が広がっていた。
遠目に見ると単なる荒れ地か原っぱのようだが、近付いてじっくり見てみると、建物の基礎や玄関タイルの残骸がはっきりと見て取れる。確かにこの場所にも人々の生活があったんだ。

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 ▲半壊状態のまま残るこの建物は、「菓子舗サイトウ」さん。
左端には「震災資料館みたいなフリーコミュニティースペース 風の広場 2F」と書かれていたようだ。ちょっと気になるので寄ってみよう。

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 ▲「菓子舗サイトウ」さんの2階へ、恐る恐る上がってみた。
元はテナントが入った店舗だったのだろうか、「チャイルドウェア」の文字が見える。今にも崩れ落ちそうな壁、無造作に並べられた段ボールやショーケース。床には亀裂が入り、隙間から1階が見えていた。
「屋内における事故等に関しましては、責任を負いかねますのでご了承ください」という注意書きがリアルに恐ろしく感じたので、早々に退散する。

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 ▲一番街商店街の途中には、仮設店舗「気仙沼復興商店街 南町紫市場」が建てられていた。
7棟・50店舗以上からなる、被災地で最大規模の復興商店街だ。この近くの高台には紫神社というお社があり、商店主らが津波から逃れて避難したことから名付けられたのだという。ここには地元の人向けのお店だけでなく、観光客を意識したような飲食店や土産物屋もあり、中でもおすすめだという「揚げたてコロッケ屋」さんで「さくさくコロッケ」をいただいた。
さらに、地元の高校生が考案したという気仙沼の新名物・「なまり節ラー油」をお土産に購入。帰宅後に食べてみたが、辛すぎず、かつおの旨味があり、ラー油ベースの適度なこってり感が飯の供、おつまみにぴったり。あまりに気に入ったので、通販で追加注文したところである。これがきっかけで気仙沼の活性化につながることを願いたい。

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 ▲暗い話題ばかりではない。一番街商店街には新しい建物も次々と建ち始めている。
左端に写っている建物は「喫茶マンボ」さん。先ほどの紫市場でしばらく営業していたが、今年4月末に再建・オープンを果たしたようで、開店祝いの花が飾られていた。また、この近くにある「マルト齊藤茶舗」さんも、かなり古そうな町家造りの建物ながら、津波にも耐え、今も元気に営業されている。
復興への道のりはまだまだ長いが、着実に一歩ずつ進んでいるのは確かだ。それを実感し、ホッとするとともに、心から応援したくなった。

さて、もう少し街歩きを続けよう。ここで、震災前は一体どんな風景だったのかと気になり、いつもお世話になっている「多摩地区そして日本各地の画像集」というサイトにスマホからアクセスしてみた。ただ、あまりに変わり果てていて、同じ場所を見付けるのに相当苦労した。


 ▲そしてようやくたどり着いた、内湾商店街の跡。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

撮影する角度は少し違っているが、道路のカーブ具合と奥の山の形が、同じ場所だということを物語っている。ここにこんな賑やかな商店街があったなんて…。いくら復興しても、元と同じ姿には戻らないのだ。虚しさでいっぱいになるとともに、「震災前の景観画像」という貴重な資料を残してくださった方がいたことに改めて感動した。

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 ▲そして、気仙沼で最も賑やかだったところ、気仙沼港までやって来た。
津波のせいで更地が多くなっているものの、穏やかな港町の風情は変わらない。この風景を見て、気仙沼は海とともに暮らし、海とともに歩んできた街なのだと実感する。

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 ▲気仙沼港の向かい側には、仮設店舗の「復興屋台村 気仙沼横丁」があった。
飲食店と土産物屋が中心で、南町紫市場よりもさらに観光客を意識した店舗構成になっている。連休ということもあり、どのお店も混雑し、活気に満ちていた。仮設ではなくきちんとした店舗に、一日も早く戻ることができるよう応援したい。

さて、気仙沼港からさらに南に進み、南気仙沼駅の周辺エリアまでやって来た。南気仙沼駅は、本家の気仙沼駅よりも市街地に近く、乗降客数も多かったという。まさに、気仙沼の街の玄関口にあたるエリアなのだが…。

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 ▲南気仙沼駅前。特に津波の被害が酷かったようで、街が跡形も無くなってしまっている。
この光景には改めてショックを受けた。街の玄関口を失うというのは、気仙沼市にとってはまさに顔を潰されるようなもの。現在は区画整理をしているようで、大きな柵で閉ざされていた。一から街を造り直すのだろう。


 ▲南気仙沼駅の駅前通り。震災前はこんな賑やかな街だったなんて…。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。


 ▲そして、ここが南気仙沼駅の跡。最初、どこに駅があったのか分からなかった。
※カーソルを重ねると、震災前の同じ場所の写真が見られます(画像提供:多摩地区そして日本各地の画像集)。また、クリックすると現在の写真が拡大されます。

こうして見ると、震災の爪痕は思った以上に深いようだ。この思いは、この翌日に陸前高田市を訪れることで、ますます強まることになる。「復興を応援したい」と口では唱えつつも、自分の無力さに切なくなってくる。我々に出来ることは何なんだろう。ずっと考えているけれど、いまだに考えがまとまらない。

このあたりからそろそろ日が暮れてきたので、気仙沼の街歩きはここらで終わり。先ほど訪れた「復興屋台村 気仙沼横丁」に戻り、夕食をいただくことにしよう。

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 ▲気仙沼横丁内の「漁師料理 大漁丸」さんで生ウニ入り海鮮丼をいただく。
ああ、何という贅沢。元まぐろ船の料理長という店主が営むこのお店は、津波で流されつつも、この横丁で復活したそうだ。

お腹もいっぱいになったところで、気仙沼駅前の「寶屋旅館」さんに戻る。もう5月だというのに肌寒く、こたつやストーブが活躍していた。
年季の入った旅館は風情があって良いものの、風が吹くたびにガタガタ揺れるのがちょっと困りもの。さらに、私たちの泊まった客室はすぐ横が洗面所だったのが災いし、翌朝は4時半ごろからウグイス張りの廊下を何往復もし、豪快に鼻をかみ、派手に歯磨きをし、賑やかにヒゲを剃る宿泊客の物音に半強制的に目覚めさせられた。これも今となっては良い思い出だが…。

さて、翌日は気仙沼駅からBRT(代行バス)に乗り、特に震災の被害が大きかった岩手県陸前高田市を目指します。
(続く)

※震災前の写真はすべて「多摩地区そして日本各地の画像集」の管理人様より転載許可をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
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