2013夏・韓国【5】 日韓友好の村、再び―大邱・友鹿洞と寿城池へ

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 ▲3年半ぶりに訪れる友鹿洞(ウロクトン)。穏やかな山並みが連なる風景。
彼の人物がここを終の住処として選んだのは、どこか故郷・日本の風景に似ていたから、かもしれない。

韓国旅行シリーズもいよいよ3日目の後半。前回の記事で紹介した倭館から大邱に戻ってきた後は、3年半前にも訪れた友鹿洞(ウロクトン)を再び訪れることにした。
以前の記事でも紹介したが、ここは、豊臣秀吉による朝鮮侵略に参戦しながらも「やっぱりこんな不義の侵略には従えない」と朝鮮側に投降し帰化した日本人武将、沙也可(さやか)が定住した土地である。金忠善(キム・チュンソン)という朝鮮名を賜った彼は、大邱郊外に位置するこの村で静かに余生を過ごしたといわれ、また現在も彼の子孫たちがたくさん暮らしているという。

さらに、ここ大邱にはもう一つ日本人にゆかりのあるスポットがある。大邱の中心街から友鹿洞に向かう途中にある寿城池(スソンモッ)だ。今からおよそ100年前、当時日本の植民地だったこの大邱で、干ばつや洪水に苦しむ人々を救うため、開拓農民の水崎林太郎という人物が造った人工池である。彼はその後、72歳で亡くなるまで地元の人たちと協力し、この地域の農業の発展に尽力したのだという。

有名な観光地が少ないと言われる大邱だが、日本人としてどちらもぜひ見ておきたいところである。ただ、その前にまずは大邱の中心街をしばらく散策してみることにしよう。
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 ▲大邱駅近くからバスに乗り、最初に向かったのは西門市場(ソムンシジャン)
この日の朝にも少しだけ立ち寄ったが、昼間に訪れるとやはり活気がある。

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 ▲西門市場で。こんな怪しげな(褒め言葉)路地がそこかしこにあり、つい探検したくなる。

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 ▲西門市場からちょっと歩いたところにあるタオル通り
なぜかタオルの店ばかりが延々と建ち並び、看板にも「타올(タオル)」の文字が目立つ。韓国、いや世界中、どこでもそうなのだろうが、この大邱という都市は特に、このような同業者通りが非常に多い。他にも電子街、貴金属通り、鞄横丁、果ては携帯電話専門店ばかりが並ぶ「通信横丁(トンシンゴルモク)」なんてのもある。詳しくはまっちの街歩きホームページでも紹介しているのでどうぞ。

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 ▲続いてやって来たのは、大邱薬令市(テグヤンニョンシ)
ここは朝鮮時代から続く由緒ある薬材市場街。伝統的な韓方薬店や韓医院が建ち並び、韓方薬のにおいが漂ってくることから、歩いているだけで健康になれるとさえ言われている。以前に訪れたときはそれほどにおいを感じなかったが、真冬で寒かったためだろうか。

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 ▲こんな本格的な韓方薬店が建ち並ぶ。ただ、あまり観光地らしさは無く、専門店街らしい雰囲気。

さて、ここ薬令市にはやはり、韓国伝統の薬膳料理・参鶏湯(サムゲタン)のお店も多数立地している。せっかくだから立ち寄って食べてみることにした。

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 ▲薬令市でおそらく一番有名なお店、薬田参鶏湯(ヤクジョンサムゲタン)へ。
入口脇には、いろいろなテレビ番組で紹介されたことが書かれている。2000年には日本のNHK「BSスペシャル 韓国 食の大図鑑」という番組でも紹介されたようだ。また、最近は朴槿恵大統領も訪れたという。そんな有名店だけあって店内は大盛況だが、特に待たされることも無く入ることができた。

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 ▲これが「薬田参鶏湯」の参鶏湯。塩・コショウで味を調えていただく。
参鶏湯は2009年の冬にソウル・明洞で食べて以来、4年半ぶり。あつあつの鍋料理だから勘違いされることも多いが、本来は夏にスタミナを付けるために食べる料理だ。ここの参鶏湯は透明感のあるスープでコクがあり、癖も無く美味しくいただきました。ごちそうさま。

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 ▲大統領が来たという割には飾り気も無く、シンプルな店構えだった。

その後は、向かい側にある小さな博物館、薬令市展示館を見学。ここも3年半前に訪れたのを鮮明に覚えている。確かあのときはガラガラに空いていたので、暇そうにしていた受付のお姉さんと延々と話し込んだのだった――。
なぜ韓国に来たのか、どこを訪れたか、という話からやがて、街歩きが好きでホームページを作っているという話に。すると、そのホームページを見たいと言い出し、受付カウンターのPCで閲覧することに。どうやら古い街並みや建物に興味があるらしく、滋賀県の五個荘のページを出してあげたらとても喜んでいた。
さらにそのお姉さん、「ソウルの北村韓屋村に一度行ってみたいのだけど、場所が分からないから行ったことがない」というので、「景福宮から歩いてすぐ、簡単に行けるよ」とこちらから行き方を教えてあげた。まさか日本人から教わるなんて、と思ったかもしれないが…。
あれから3年半、あのお姉さんは無事に北村韓屋村には行けたのだろうか。(回想ここまで)

ともあれ、この展示館、ジオラマとビデオで薬令市について分かりやすく学ぶことができるのでお勧めだ。ただ、前回来たときにも印象的だったが、「大邱薬令市を守れ」というアニメが我々日本人にとってはちょっとショッキングだ。日本統治時代、この一帯の建物を全て取り壊して再開発するという計画から、民衆の必死の抵抗で守られたというエピソードを紹介しているのだが、例によって日本人が物凄い悪者に描かれている。これはちょっと胸が痛い。

ちなみに、ここで買ったお土産「高麗人参チョコレート」もショッキングな味でお勧めです(私は食べていない)。

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 ▲その後は、大邱一の繁華街・東城路(トンソンノ)へ。
以前訪れたときは、CGV(映画館)のところで国債報償路という広い道路に分断されて不便だったが、いつの間にか信号機付きの横断歩道が設けられていた。

さて、ちょうどこのあたりを歩いていたとき、スマホの充電が切れてしまった。地図を見たりバスの経路を調べたり、旅には欠かせないスマホ。そんなこともあろうかと、わざわざ予備バッテリーまで持ってきていたのだが、なんとバッテリーを接続するためのケーブルをホテルに忘れて来てしまった。何ということだ。ホテルに取りに戻ろうかとも思ったが、これでは大幅なタイムロスとなってしまう。
と、ここで、前述の「通信横丁」の存在を思い出した。携帯電話専門店がずらりと建ち並ぶ路地、まさかこんなところでお世話になるとは思わなかった。3年半前に歩いた土地勘を頼りにたどり着き、とりあえず目に付いた「전국에서 2번째 싼집(全国で2番目に安い店)」というふざけた名前のお店へ。どこに売っているのかよく分からないので、事情を店員さんに話すと、わざわざ商品を探してきて動作確認までしてくださった。親切な店員さんに感謝!

そうこうしている間に時刻はもう15時過ぎ。繁華街のバス停から急行バス(2番)と支線バス(嘉昌2番)を乗り継ぎ、本来の目的地である友鹿洞に到着した頃にはもう16時半だった。本数の少ないバスの乗り場を間違えたりと手間取ったのがいけなかった。

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 ▲まずは、昨年5月にオープンしたという達城(タルソン)韓日友好館へ。

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 ▲達城韓日友好館で。以前訪れた忠節館に展示されていた物品の一部がこちらに移されているようだ。
古代から現在に至るまでの、日本と韓国の交流史を系統的に分かりやすく展示している。真新しい施設だけあって展示も立派だが、その分内容が薄くなってしまったようにも見える。沙也可のことが何よりもよく分かる解説ビデオが故障中で見られなかったのも残念だ。
もっとも、文化観光解説士のガイドさんが付きっきりで親切に説明してくださったのは有り難かった。

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 ▲続いて友鹿洞のシンボル、鹿洞書院へ。金忠善の功績を称えるため、1794年に建てられた。

その後、ガイドさんに頼み込んで忠節館も見学させていただいた。中の様子は前回来たときとほとんど変わっていない。そして、貴重な史料は相変わらずこちらに展示されているようだ。立派な韓日友好館が出来た後も、やはりこちらの方が興味深い。それだけに、時間が遅くてゆっくり出来なかったのが悔やまれる。

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 ▲本棚にはなぜかこんな本が並んでいた。一体なぜ?日本に帰ってきたような気分。

ということで、あっという間に閉館時刻の18時になってしまった。静かな友鹿洞の村でもう少しゆっくりしていたかったが、まだ寿城池も行かなければならないので、慌ただしく帰りのバスに乗車。
そして、25分ほどで寿城池に到着した。市街地の南端に位置し、真新しいアパートが建ち並ぶ新興住宅地のようなところだった。

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 ▲寿城池(スソンモッ)。思ったよりも大きな池で、全体像を写真に収めるのは難しい。
子ども向けの遊園地やボートがあったりして、今は行楽地のようになっている。まさに大邱市民の憩いの場のようだ。

冒頭でも書いたが、ここは水崎林太郎という日本人が朝鮮総督府に直談判して造った灌漑池である。彼はもともと加納町(現:岐阜市)の町長を務めていた人物で、大邱に移り住んだのは1914年のことだという。加納といえば私の自宅から10kmほどの街だが、こんな身近な場所にこんな偉大な人物がいたことを、恥ずかしながら私はずっと知らずにいた。初めて知ったのは3年半前に友鹿洞を訪れたとき、付きっきりでガイドしてくださった文化観光解説士の李さんが教えてくださったのがきっかけである。遠く離れた大邱の地が意外なほど身近な街と繋がっていることに、不思議な縁を感じる。

さて、この池のほとりには水崎のお墓があるのだが、事前に下調べしても詳しい場所が分からなかった。周囲2kmもある巨大な池なので、適当に歩いていて見つけられるか不安だったが、池の南側の幹線道路をしばらく歩いていたら「壽城池를 築造한 水崎林太郎公 墓域→」と漢字・ハングル混じりで書かれた看板があった。日本語で書くと「寿城池を 築造した 水崎林太郎公 墓域→」となるが、日本人にも分かりやすいようにわざと漢字で書いてあるのだろう。

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 ▲水崎林太郎のお墓は、池の南側の山の斜面、しばらく坂道を登ったところにあった。
寿城池の見えるところに韓国式の墓で眠りたい」との遺言通り、土まんじゅう型のお墓である。敗戦により水崎一家が日本に引き揚げた後は、水崎の友人だった徐彰教(ソ・チャンギョ)氏がこのお墓を守り続けてきたという。右奥に見えるのは、奈良・東大寺の長老、清水公照氏の直筆による顕彰碑。墓碑には「修水院儒農耕林居士水崎林太郎之墓」と刻まれている。戒名だろう。

芳名録には韓国人と日本人の名前が半々くらいに記されていた。大邱には日本人観光客などほとんど訪れることがないと思っていたが、これを見るとけっこうな頻度で来ているようだ。水崎の命日である4月13日には祈念式典も行われているという。静かに手を合わせ、寿城池を後にした。

人の情というものは、国境や民族を超えて通じ合うものだと私は信じている。植民地時代の朝鮮において、「日帝」は鬼畜で醜い悪魔のような存在だっただろう。しかしそんな中にも、水崎のように良心を持って現地の人と共生しようとしていた日本人はたくさんいたはずだ。
2000年代初頭の韓流ブーム以降、日本と韓国の心理的距離はぐっと近くなったが、とりもなおさず両国間には課題が山積である。今年に入ってからは各地でヘイトスピーチが繰り返され、そのたびに胸が痛んでいる。本当の日韓友好が少しでも早く実現されんことを心から願いたい。

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 ▲しみじみとした気持ちで帰りのバスに乗る。いつの間にか、もう夕暮れどきだ。
途中で通り掛かった鳳徳市場あたりの景色が、初めて通る見知らぬ土地のはずなのになぜか無性に懐かしかった。

そんなわけで、思い出深い大邱旅行の話はこれで終わり。
この後は、大邱の中心街に戻って名物料理をいただき、翌朝はソウルに戻ります。
(続く)

リンク:水崎林太郎のお孫さんが書かれた随筆「懐かしの大邱、想い出の人々」
日韓市民ネットワークなごやホームページより)
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