2013夏・韓国【4】 地方都市「大邱」と田舎町「倭館」の日常を歩く

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 ▲漆谷郡(チルゴクグン)倭館邑(ウェグァンウプ)の中心街、倭館市場での一コマ。
外国人観光客が訪れることなどまず無さそうな、ごく普通の韓国の田舎町の光景だ。

前回から続く3泊4日の韓国旅行シリーズ。真夏の記事なのに、のんびり書いていて冬になってしまったが、今回はいよいよ3日目。韓国第三の都市・大邱(テグ)のホテルに泊まった翌朝は、大邱から北西に20kmほど離れた洛東江(ナクトンガン)沿いの街、倭館(ウェグァン)に行ってみることにした。
ここは観光地でも何でもない。単なるベッドタウンだ。大ざっぱな例えをすれば、日本に来た外国人観光客が名古屋に泊まった翌朝、よりによってわざわざ弥富に行くような感覚である(距離的にも、都市規模的にもちょうどそれくらいだが、こちらは内陸に位置する)。
では、なぜわざわざそんなところに行くのか。それは純粋に、韓国の日常風景に興味があったからである。初めて韓国に来たとき、最初に安養を訪れたのも同じ理由だ。外国人向けに飾り立てられたソウルの街並みよりも、こういう普通の街でこそ素顔の韓国に出会えるし、何よりそれが海外旅行の醍醐味だと私は思うのだ。
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 ▲ということで、大邱・パンゴゲ駅前のホテル・クリスタルを出発。
時刻はまだ7時半。休日の朝なので人通りもまばらだ。

倭館に向かう列車が出る大邱駅へは、ここから直線距離で約2.5km。地下鉄やバスを使えばすぐなのだが、大邱の街並みを満喫するため、ここはあえて徒歩で向かってみることにした。
前回の記事でも書いたが、このパンゴゲという街は都心と住宅街の境目にあり、韓国らしい超高層アパートも少なく、微妙な空気の下町である。ただ、幹線道路沿いの風景がどことなく岐阜の郊外(特に長住町9丁目界隈)に似ていて、妙な懐かしさを覚える。

しばらく歩くと、アーケード街が縦横無尽に広がる巨大な市場に出た。3年半前にも訪れた西門市場(ソムンシジャン)だ。休日の朝早くなので閉まっているお店が多いが、3年半ぶりに見る光景にまた懐かしさを覚える。

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 ▲西門市場の前の道路上には、前回来たときにはまだ無かった高架が出来ていた。
2014年夏の開業を目標に建設中の大邱都市鉄道3号線(モノレール)だ。電車で西門市場を訪れる場合、今までは地下鉄2号線の西門市場駅から600mほど歩かなければならなかったが、ここに駅が出来れば西門市場は目の前である。そうすると、気になるのが駅名だ。既存の西門市場駅は2・3号線の乗換駅となるが、それよりも西門市場に近いこの駅は何と名乗るのだろう。名古屋の地下鉄「瑞穂運動場西駅」(旧称:瑞穂運動場駅)と似たようなケースだが…。
帰国後に調べてみたところ、市場の前に新しく出来る駅が「西門市場」駅を名乗って、既存の西門市場駅は「新南」駅に改称されるようだ。

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 ▲西門市場からほど近いところには、こんなひっそりとした路地があった。
この奥には、詩人の李相和(イ・サンファ/1901-1943)が生まれ、青年期を過ごし、代表作「奪われた野にも春は来るか(빼앗긴 들에도 봄은 오는가)」を発表した生家跡があるようだ。また、さらに奥にはお寺があるようで、桃色の提灯はそのお寺に関係するものだろう。

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 ▲続いて、大邱駅にほど近い北城路(プクソンノ)、通称「大邱産業工具横丁」で。
このあたりは、前回大邱を訪れたときには立ち寄らなかったところ。年季の入った工具店が建ち並び、写真のような日本式家屋もあちこちに点在している。
後で知ったことだが、この北城路周辺は植民地時代に日本人が多く暮らし、大邱の商業・経済の中心だったところなんだという。当時は「元町」と呼ばれていたそうだ。写真の建物は、1930年代に建てられた日本式家屋を改装し、「cafe三徳商会」というコーヒーショップとして営業している。日本式家屋は「日本に支配されていた」という屈辱の歴史を思い起こさせるものとして取り壊される場合が多いが、このcafe三徳商会の場合は「古き良きものを大切にしよう」という意見が勝り、保存されているのだという。

また、この通り沿いには、滋賀県五個荘の近江商人・中江家により創業された「三中井百貨店」もあったようだ。建物は1990年代初頭に取り壊され、跡地は何の変哲もない立体駐車場になっているようで、全く気付かずに素通りしてしまった。(三中井百貨店については前回の記事も参照)

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 ▲北城路から南に延びる、香村洞(ヒャンチョンドン)の路地。
ここは1950年の朝鮮戦争当時、芸術家・詩人たちが戦火を逃れて全国から集まったところ。当時の面影を残す音楽鑑賞室や喫茶店が点在しているんだとか。ただ、そろそろ列車の時間が迫ってきたので、寄り道せず大邱駅に急ぐことにした。

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 ▲ようやくたどり着いた大邱駅の1番ホーム
朝の8時台なのでそこそこ混んでいるが、休日なので通勤・通学のラッシュという感じではない。ちなみに私が訪れた1ヶ月後の8月31日に、このホームでKTXとムグンファ号の3重衝突事故が起こることになる。

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 ▲大邱駅から、8時43分発のムグンファ号(1206列車)ソウル行きに乗車。
釜山駅を7時10分に出発し、昼過ぎの12時31分にソウルに到着する長距離列車だ。韓国はこの日から本格的な帰省ラッシュだったようで、車内はかなりの混雑。カフェカーでは、はるばる釜山から乗ってきたと思しき若者たちが爆睡中。KTXの半額以下で釜山からソウルまで移動できるムグンファ号は、まさしく貧乏学生の味方なのだろう。まるで青春18きっぷシーズンのムーンライトながらのようだ。

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 ▲そんな長距離旅行者とは対照的に、こちらは次の倭館駅で下車。約20分の短い旅だった。
田舎町の小さな駅だが、主要幹線の京釜線の駅だけあって、どっしりとした外観。ただ、7月から9月まで待合室が改修工事中だったようで、ごみごみした雰囲気だった。意外にも白人の乗り降りを数人見かけたが、おそらく付近に米軍基地がある関係だろう。

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 ▲倭館駅の駅前風景。
いかにも「駅前」らしい、ほど良い賑やかさ。韓国では鉄道と比べてバスのシェアが大きいというが、この様子を見ると、今でもちゃんと鉄道駅が街の玄関口として機能しているようだ。

それでは、この倭館の街をじっくりと散策してみよう。

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 ▲まずはメインストリートの中央路(チュンアンノ)から。
衣料品店や飲食店、コンビニ、金融機関、医院など、ひととおりのお店がこの通り沿いに揃っている。自動車が右側通行であることと、看板の文字がハングルであることを除けば、日本の風景と間違えそうなほどそっくりだ。

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 ▲そんな中央路沿いでちょっと気になったお店、「THE ONIGIRI」。ロゴマークが可愛らしい。
おにぎり・うどんなどを中心とする和食ファーストフードチェーン店のようで、3年半前に大邱の繁華街を歩いていたときにも見かけたことがある。公式サイトを見ると韓国全土に展開しているようだが、本社は大邱にあるようで、店舗も大邱・慶北地域に集中している。

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 ▲中央路の1本西を並行する、中央路2通り(チュンアンノ2ギル)
こちらの通りは飲食店が目立つ。どちらかと言うと路地裏の飲み屋街といった趣で、夜の方が賑やかになりそうだ。

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 ▲駅から400mほど北に歩くと、全蓋式アーケードの倭館市場(ウェグァンシジャン)がある。
青果店や鮮魚店が中心の市場だが、人通りも少なく、アーケード内に普通にクルマが出入りしている。ちょっと来るタイミングを誤ったか。ともあれ、ど派手なイルミネーションが施されており、夜はきっと綺麗になるのだろう。

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 ▲倭館で唯一?の見どころ、洛東江に架かる漆谷倭館鉄橋
今から100年以上前の1905年に日本政府によって架設された古い橋だ。このあたりは朝鮮戦争(1950年)で激戦地になったところで、北朝鮮軍の南下を阻止するために爆破されたことがある。これが奏功し、韓国軍は洛東江の戦いに勝利。以来、この鉄橋は「護国の橋」と呼ばれるようになったという。
橋を渡った先に高層アパートが林立している光景が、台湾の新店に行ったときを思い出す。

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 ▲せっかくだから渡ってみることにした。全長469mと、歩きごたえのある橋だ。
老朽化により1979年に通行が禁止されたが、1991年から補修工事が行われ、1993年から再び人道橋として使われている。ただ、2011年6月の大雨で再び崩落事故が起き、このときも補修・補強工事中だった。何ともタイミングが悪い。

ところで、この倭館という地名の由来は何なんだろうか。実は、私と同じようにこの地名に興味を持って、実際に訪れた日本人が過去にもいたらしい。司馬遼太郎である。彼の著書「街道をゆく」シリーズの一つ、「韓のくに紀行」にその内容が詳しく語られているという。
さっそく帰国後に読んでみたところ、どうやら豊臣秀吉による朝鮮出兵(韓国では「壬辰倭乱」と呼ぶ)の際、日本軍の兵站基地が置かれていたというのが由来のようだ。さらに読み進めると、もともと倭館の集落は洛東江の対岸(西側)にあったが、朝鮮戦争の戦火で集落丸ごと消滅させられてしまったのだという。現在その跡地は「旧倭館(クウェグァン)」と呼ばれており、地図で調べてみるとどうやらこの鉄橋を渡ってしばらく北に進んだあたり(観湖2里付近)だったようだ。
そうと知っていればそこまで足を延ばしたのだが、もう遅い。またいつか訪れてみることにしよう。

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 ▲2時間ほど街を歩き回り、再び倭館駅に戻ってきた。

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 ▲倭館駅に展示してあった、昔の倭館の街の写真。
右端に京釜線の線路と倭館駅、左端には洛東江が流れ、奥の方に護国の橋も写っている。いつごろ撮られたものだろうか。倭館駅の南側、現在の南部バス停留場あたりに田園風景が広がっているのも興味深い。


 ▲倭館駅11時22分発のムグンファ号(1251列車)東海南部線経由海雲台行きが到着。
朝7時52分にソウル駅を出て、はるばる韓国を縦断し、釜山の海雲台駅に13時41分に到着する、これまた気が遠くなるような長距離列車だ。これに乗って再び大邱駅に戻ろう。

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 ▲凄まじい混雑で通路まで満員。ただ、大邱駅でかなり大量に降りたようだ。

ということで、大邱から倭館へのショートトリップはこれで終わり。街の詳しい様子はまっちの街歩きホームページでも紹介しているので、そちらも参照されたい。

大邱から列車で20分程度の距離ということで、もっと都会的なベッドタウンを想像していたが、高層アパートが数棟並んでいることを除けば、かなりひなびた雰囲気の街だった。それは完全に大邱とは切り離された別世界のようである。むしろ、大邱よりも工業都市である亀尾(クミ)市との結びつきの方が強いようで、亀尾行きのバスが頻繁に往来しているのが印象的だった。
韓国第三の都市であり、人口も250万人を超す大邱なら、周辺に一宮や春日井や刈谷のような衛星都市が多数あってもおかしくなさそうだが、せいぜい慶山市(大邱の東側に隣接する市で、大邱市内から地下鉄が延びている)にニュータウンが広がっている程度で、それ以外に目立った衛星都市は無い。地図で見ると分かる通り、大邱市内一極集中が激しいのがその一因のようだ。
おそらく、日本のように私鉄による沿線開発が行われなかったこと、鉄道よりも路線バスの利便性が高いこと、さらに職住近接志向が強い(韓国では通勤手当が出ないらしい)ことが理由なのだろう。やはり日本と単純比較はできない。似ているようでやっぱり違う、そこが興味深いところだ。

さて、この後は大邱市内に戻り、日本とゆかりのある友鹿洞(ウロクトン)・寿城池(スソンモッ)を巡ります。
(続く)
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