最上稲荷のレトロな門前町と、備中高松城跡
- 2012.09.25 09:34
- カテゴリ:旅行記-中国・四国地方

▲最上稲荷の門前町。全蓋式アーケードの商店街が約600mにわたって断続的に続く。
前回の記事で紹介した奉還町商店街を散策した後は、備前三門(びぜんみかど)駅からのどかなローカル線・JR吉備線で備中高松(びっちゅうたかまつ)駅にやって来た。
備中高松は、岡山市の北西部に位置する小さな街。羽柴秀吉の水攻めで知られる備中高松城や、日本三大稲荷の一つであり県下最大の初詣スポットでもある最上稲荷(さいじょういなり)など、見どころがたくさんある。中でも、この最上稲荷の門前町が面白いということで以前から気になっていた。

▲備中高松駅の近くには、高さ27.5mの巨大な大鳥居がそびえ立つ。ここが最上稲荷への玄関口だ。
稲荷という名前で鳥居もあるくらいなので、てっきり神社だと思っていたのだが、実は最上稲荷山妙教寺というお寺。神仏習合が今も残る、珍しいお寺なのだそうだ。
備中高松駅前から最上稲荷までは約3kmと、歩くにはちょっとしんどい距離なので、バスを利用することにした。このバス、年末年始には備中高松駅との間で終夜運行が行われるようだが、普段は岡山駅から発着しているため、備中高松駅前には乗り入れず、駅から少し歩いたところにある国道沿いの稲荷参道口バス停から乗らなければならない。ちょっと不便だが、そもそもこのバス自体があまり観光客を意識していないような感じで、乗客は私一人だけ。
のどかな田園地帯を5分ほど走ると、やがてだだっ広い駐車場とバス停が見えてきた。終点の「稲荷山」バス停に到着だ。

▲駐車場の奥にはこんな怪しげな入口が。ここから最上稲荷の門前町が始まる。

▲一歩足を踏み入れた瞬間、そこはまさに昭和レトロワールド。
何も無い田園地帯のど真ん中に突如賑やかな参道が出現するというところが、岐阜県のお千代保稲荷によく似ている。ただ、規模はこちらの方が数倍大きいだろう。また、野良猫の姿が多いのもお千代保稲荷と同じだ。

▲カーブと起伏が繰り返し、全く統一性の無いアーケードが継ぎはぎ延々と設けられている。
この素朴な感じがたまらない。ただ、思ったよりひっそりとしているのが残念だ。単なる連休よりも、年末年始や節分などの方が賑わうのだろう。
どうやら「ゆずせんべい」というのがここの名物のようで、あちこちで売られているのが目に付いた。帰りに買ってみたが、十円玉くらいのサイズの煎餅に甘酸っぱい柚子蜜がまぶしてある、素朴なお菓子だった。

▲土産物屋と和食中心の飲食店がメイン。お千代保稲荷と同じく、神仏具や縁起物を売るお店も多い。
境内に近付くと、線香を売るお店が増えてくる。お千代保稲荷はロウソクと油揚げをお供えするのが習わしだが、こちらは線香を一本ずつ上げていくのが正式なお参りの仕方なのだそうだ。また、どういうわけか道路の両側に同じ屋号のお店が向かい合っているところが多いのが気になった。同じ経営者で道路を挟み込むように2店舗営業しているのだろうか。
さて、長い参道を通り抜け、インドの殿堂様式の仁王門が見えてくると、いよいよ境内だ。

▲まずは、最上三神をお祀りしている本殿(霊光殿)へ。
1979年完成と比較的新しい建物だが、圧倒されそうなほどの大きさだ。寺院建築でありながらしめ縄が張られているところにも、神仏習合の特徴が表れている。

▲本殿には、お供え物をむさぼる行儀の悪い猫ちゃんが…。

▲続いて旧本殿(霊応殿)へ。
1741年に再建された、最上稲荷で最古の木造建築だ。岡山市の重要文化財に指定されている。

▲旧本殿の周りには、七十七末社という、末社がずらりと並ぶゾーンがある。
末社にはそれぞれ、厄除、建築、縁談、安産、商売繁盛などなど、一つ一つ違ったご利益がある。ここに一本ずつ線香を上げながら回って行くのだが、地元の人は手慣れた動作だ。
参拝を終えた後は、あれこれ土産物を物色しつつ、再び長い門前町を通り抜けてバス停へ。

▲最上稲荷表参道の入口。来るときとはまた別の角度から。
バス停で時刻表を見てびっくり。なんと1日5往復しか走っていないようで、次のバスまで2時間以上ある。仕方がないので、備中高松駅まで歩くことにした。こんなふうにバスが不便だから、みんなマイカーで来るのだろう。だだっ広い駐車場がそれを物語っていた。

▲最上稲荷と備中高松駅を結ぶ吉備高原自転車道をとぼとぼと歩く。
1944年までこの場所には、備中高松駅から分岐して最上稲荷までを結ぶ中国鉄道稲荷山線というのが走っていたようで、この自転車道がまさにその廃線跡のようだ。

▲備中高松城跡近くの田園地帯で。遠くに先ほどくぐった大鳥居が見える。
さて、せっかくなので、備中高松城跡にも立ち寄ってみることにした。

▲高松城址公園。水にゆかりのある城だけに、跡地ものどかな水辺公園として整備されている。
16世紀の末に築かれた高松城は、周囲の沼を天然の外堀として利用した、難攻不落の城であった。羽柴秀吉はこの地形を逆手に取り、約3kmに及ぶ巨大な堤防をわずか12日間で完成させ、足守川の水を引き込んで城を水浸しにする「高松城の水攻め」を行った。敵を討つためには手段を選ばない、秀吉というのは本当に鬼畜な男である。
結局、城主・清水宗治は城兵の命を救うために自害している。1582年、「本能寺の変」の直後の出来事である。ちなみにこの後、秀吉が明智光秀を討つ「山崎の戦い」までわずか10日足らず。この大移動がかの有名な「中国大返し」である。

▲清水宗治の首塚。辞世の句「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」。
その後、秀吉は「宗治は武士の鑑だ」と賞賛したという。

▲備中高松駅から再び岡山駅に戻って来た。もう夕方で、駅もだんだん混み始めてきた。
帰りの新幹線まで30分ほど時間があったので、最後にもう少しだけ岡山駅周辺を散策することに。

▲岡山駅東口の駅前風景。駅前だけを見ると、広島よりも岡山の方が栄えて見える。

▲岡山駅からまっすぐ東に延びるメインストリート、桃太郎大通り。

▲桃太郎大通りの一本北側を並行する、全蓋式アーケードの岡山駅前商店街(スカイモール21)。
ということで、長いようで短かった広島・岡山旅行はこれで終わり。痺れるほどレトロなスポットが多く、旅情を感じさせる二日間だった。この後は、岡山駅から17時30分発の新幹線で名古屋へ。

▲この二日間で使用した切符類。
2012年5月3日~4日の広島・岡山シリーズはこれで終わりです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
(完)
【目次】
・12年ぶりの広島は、レトロスポットめぐりから―
・アストラムにスカイレール…広島のりものツアー
・夜の広島・横川、平和にぶらぶら街歩き
・早朝の広島駅前散策、そして岡山・後楽園へ
・人情溢れる下町、岡山・奉還町商店街を歩く
・最上稲荷のレトロな門前町と、備中高松城跡(このページ)
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広島の風景は懐かしかったですし、岡山はちゃんと歩いたことがないので
「こんな感じなのかぁ」と思いながら楽しんでました。
特に吉備路はこれまで完全にスルーして来たので、
最上稲荷の門前町のような風景があるというのは目からウロコ?
灯台もと暗し?でした。
(うまい表現が思いつきません…汗)
今大阪人なので、1泊2日で岡山市周辺の旅も良さそうだな、と思いますね。