水都・大垣アルバム~美濃路編

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 ▲俵町(たわらまち)の旧美濃路。通り沿いには老舗の柿羊羹の店、「つちや」さんがある。

前回に引き続き、またまた岐阜県大垣市から。今回は、大垣の中心部を縦断するようにくねくね伸びる旧街道、「美濃路」を紹介しよう。美濃路とは、東海道の宮宿(名古屋市熱田区)から、名古屋、清洲(清須市)、稲葉(稲沢市)、萩原(一宮市)、起(一宮市)、墨俣(大垣市)、大垣を経て中山道の垂井宿(不破郡垂井町)までを結ぶ街道のこと。大垣は、城下町でありながら宿場町でもあるのだ。

大垣の旧美濃路は、城下町らしく曲がりくねったルートを取っているが、ほとんどのルートをそのまま現在でもたどることができる。現在の地名でいうと、東から藤江町3丁目、伝馬町、本町1・2丁目、竹島町、俵町、船町1・4・5・6・7丁目、久瀬川町1・2・3・4・5丁目、若森町4丁目と続くのが旧美濃路のルートだ。また、かつてはこの街道沿いの町を「往還町」と呼んでいたという。大垣市内の美濃路の具体的なルートを知りたい場合は、こちらのサイトが参考になる。

ここでは、実際に訪れた順ではなく、分かりやすくするため東から順に紹介していくことにしよう。
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 ▲まずは大垣市街の東端部にあたる伝馬町から。
商店街というほどではないが、ちょっとした幹線道路沿いに個人商店が点在していて、いかにも旧街道らしい雰囲気が続いている。

伝馬町を西進してきた旧美濃路のルートは、水門川の手前で左に折れ、さらに突き当たりで右に折れ、1つ目の交差点で再び左に折れて、本町通りを南下する。このあたりに高札場があったようだ。
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 ▲本町一番街商店街(本町2丁目)
前回の記事で紹介した「ブラツキ街」との交点付近。コミュニティ道路として綺麗に整備され、大垣の中心街の一角を成している。本町という地名からも、昔からの大垣の中心地であったことが分かる。ちなみにこの写真のあたりには脇本陣があったようだ。

さて、旧美濃路は県道237号を横切った後、右に折れてすぐにまた左に折れ、竹島町(たけじまちょう)の東部をしばらく南下する。
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 ▲竹島町の東部を縦断する旧美濃路。
何とも渋い街並みだ。この竹島町から今岡町、新町にかけてはスナックが多く、昔の歓楽街のような雰囲気がある。このあたりについては次回の記事で詳しく紹介しよう。

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 ▲竹島町の中央に位置する大垣宿問屋場跡。上の写真の飲食街らしき建物と一体化している。
ここで旧美濃路のルートは右に折れ、しばらく西に進路を取る。

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 ▲大垣宿問屋場跡。何やらいろいろ紹介されていて興味深い。

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 ▲問屋場跡から西に進んだ、竹島町(西部)の街並み。
このあたりには本陣跡があり、大垣宿の中心だったことが想像される。ただ、ところどころに古い建物が残る以外は、普通の地味な住宅街だ。

竹島町を西進すると、大垣駅から続くメインストリート、「大垣駅通り」にぶつかる。
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 ▲大垣駅通り。大垣駅から1kmほどの地点にあたり、すでに街外れといった雰囲気だ。
旧美濃路のルートはこの大垣駅通りを40mばかり南下して、すぐにまた西に進路を変える。

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 ▲大垣駅通りから西に進んだ、俵町の街並み。
かつては伊勢町通りと呼ばれていたところで、ここだけタイムスリップしたように昔ながらの景観が残っている。

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 ▲ところが、俵町の西部は道路が拡幅され、だだっ広い景観となっている。
街路灯のデザインから察するに、すでに拡幅されて久しいようだが、これはちょっと勿体ない。正面に見えるクリーム色の壁の奥が、上の写真にも写っている「つちや」さんだ。

俵町の西端には本草学者・飯沼慾斎の邸宅跡があり、ここで美濃路のルートは左に折れ、しばらく南に進む。
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 ▲俵町の南西部、大垣城西総門(京口門)のあったあたり。ここが名実ともに大垣宿の西の入口にあたる。

この近くには奥の細道むすびの地記念館と観光案内所があり、ちょっと立ち寄ってみた。この日は月曜日で、休館日かもしれないと心配したが、大垣の公共施設は月曜ではなく火曜休みなのだという。
記念館といっても総合福祉会館の一角を間借りしただけの資料室のような感じで、観光案内所もプレハブのような簡素なもの。だが、情報を仕入れるには十分なもので、また今年4月には、記念館と観光案内所が合わさった新しい施設がオープンするという。今後が楽しみだ。

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 ▲水門川の船町港跡
大垣は、言わずと知れた松尾芭蕉の紀行文・「奥の細道」の結びの地。芭蕉はよほどこの大垣を気に入っていたらしく、生涯のうちに4回も訪れている。大垣城主・戸田氏の奨励により、もともと大垣城下では俳諧がさかんだった上に、芭蕉の俳友・谷木因(たにぼくいん)が住んでいたことも大きいようだ。なるほど、中部圏屈指の文学都市ではないか。
芭蕉が「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」と詠んだのが、ちょうど上の写真の場所。風情ある景色だが、このときは船着き場が整備工事中で、県指定史跡の住吉燈台も工事のためネットに覆われていた。

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 ▲旧美濃路・船町(ふなまち)1丁目の街並み。
この一角は新しい建物も多いが、周囲の景観に合わせてレトロ調になっている。

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 ▲大垣を出発し伊勢へと向かう芭蕉と、それを見送る木因の像。
この近くには、木因が芭蕉を歓迎するために建てたという道標もあるのだが、「南いせ くわなへ十り ざいごうみち」と銘文そのものが俳句になっている。さらに、「くわなへ」は「桑名へ」と季語の「桑苗」の掛詞になっているなど、芸が細かい。

さて、旧美濃路のルートはここで水門川に架かる高橋を渡り、県道18号・31号に沿って西に進む。
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 ▲船町商店街。船問屋の家に生まれた谷木因の生家は、ちょうどこのあたりにあったようだ。
国道21号の旧道にあたり、4車線のだだっ広い道だが、ところどころに点在する古い町屋が旧街道らしさを感じさせる。通り沿いの大垣船町郵便局も、間口が狭くて奥行きが細長い「旧街道仕様」の建物だ。

船町商店街をさらに西へ進むと、久瀬川町(くぜがわちょう)商店街となる。途中には養老鉄道の踏切があるのだが、どのクルマも一時停止せずにそのまま通過して行く。どうやら、信号が併設されているので一時停止不要らしい。これは知らなかった。
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 ▲久瀬川町商店街。商店街としては苦戦気味だが、建物の形状から昔の繁栄の名残が感じられる。

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 ▲久瀬川町商店街の歩道沿い。街外れに位置する割には、営業しているお店はまあまあ多い。
通り沿いの大垣久瀬川郵便局は、入口を入ってすぐ左脇に、ロビーとガラス壁で隔てられた会議室のようながらんとしたスペースがあった。テレビもエアコンも設置されていてパンフレット類も並んでいるので、何らかの目的に使われているのだろうが、ちょっと存在意義の分からない空間だった。

さて、大垣の美濃路めぐりもラストスパート。久瀬川町商店街を抜けると、県道はそのまま杭瀬川を渡って西に進むが、旧美濃路のルートは杭瀬川の手前で左に折れて、若森町4丁目を縦断するように進む。
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 ▲若森町4丁目の旧美濃路。忘れ去られたようなこの雰囲気が、いかにも旧道らしい。

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 ▲若森町4丁目を抜けると杭瀬川に出る。真冬らしい寒々しい風景だ。

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 ▲1880年に建立された静里町塩田常夜燈
この杭瀬川は、かつては中山道の赤坂宿と東海道の桑名宿を結ぶ水運に利用されていたようで、このあたりにはその中継港である塩田港があったとのこと。周辺には船頭相手の商店が建ち並んで賑やかだったそうだ。

ということで、大垣城下の美濃路めぐりはこれで終わり。ここから先は、長源寺・法永寺の前を縫うように進み、このまま進むと昨年の秋に訪れた垂井にたどり着く。目立たない街並みだけれど、いろいろな発見があって面白い街歩きだった。

さて、次回の記事は大垣シリーズの最終回。大垣城の周辺を中心に紹介していきます。
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Comment

何だか同じようなタイミングで大垣ネタをアップしてましたね…。
自分よりももっと緻密に歩き回っていて、流石だな、という感じです。
私も歩いた町並風景、懐かしく思います。

>ねじまきさん

本当ですね~。3年前に大垣に行かれていたとは。
今回私はほとんど下調べせずに行ったので(だからこそ時系列を無視してUPしているのですが)、「大垣ぶらりウォーク」の通行手形の存在は全く知りませんでした。
町の魅力を知るのにとても良さそうなアイテムですね。次回はぜひ活用してみたいです。
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