新春初歩き!岡崎市南郊の街めぐり(前編)

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 ▲新春の名鉄東岡崎駅前。典型的な地方都市の風景だ。岡ビル百貨店は今のところまだ健在。

1月4日。2012年最初の街歩きは、つい2ヶ月前に訪れたばかり愛知県岡崎市を訪れた。ただ、今回は岡崎城を中心とする中心市街地ではなく、岡崎市南部の郊外に点在する小さな街を巡るのが目的だ。
まずは東岡崎駅地下改札の正面(名鉄観光内)にある岡崎市観光案内所に立ち寄り、レンタサイクルを借りる。貸出時間は9時30分から16時までに限られているが、無料というのが嬉しい。「借りて見輪(みりん)・乗って見輪(みりん)」という愛称(三河弁で「借りてごらん・乗ってごらん」といった意味合い)がまたユニークだ。ちなみにここだけでなく、岡崎公園内の観光みやげ店でも貸し出しているようだが、借りた場所に返却する必要があり、乗り捨ては出来ないそうだ。

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 ▲正月早々、朝から賑やかな東岡崎駅前を通り過ぎる。

さて、この日は珍しい平日休み、つまり郵便局巡りができる日!ということで、岡崎南明大寺郵便局で新春初貯金。さらに、イオンに入るクルマの大渋滞を横目に通り過ぎ、岡崎郵便局内のゆうちょ銀行岡崎店へ。この岡崎郵便局は1999年に移転してきたばかりで、それまでは岡崎城近くの中心街にあった。2003年10月に岡崎城周辺の郵便局を徒歩で巡っていたとき、現地に行って初めて移転したことを知り、移転先があまりに遠くて愕然とした思い出がある。なので、8年越しの念願の訪問と言えようか。

そこからさらに南に進むと、JRの岡崎駅(▼)が見えてきた。
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名鉄の東岡崎駅の方が中心街に近く、「岡崎駅」を名乗るこちらは市の南のはずれに位置している。渋い駅ビルが健在の東岡崎駅とは対照的に、こちらは真新しくてピカピカの駅舎だ。駅周辺も綺麗に整備されていて、新しい建物ばかりが目立つ。それもそのはず、このあたりは大規模な再開発が行われたばかりなのだ。

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 ▲岡崎駅東口のメインストリート。
確かに小綺麗ですっきりとした街並みだが、まるでニュータウンのようで、どこか味気ない気もする。区画整理によってだだっ広くなって、かえって閑散としてしまった感じが名古屋の大曽根駅前に似ている気がした。

この岡崎駅周辺には、実はちょうど5年前の2007年1月9日にも来たことがある。そのときも岡崎駅前郵便局で新年初貯金をしたのだったが、あまりに景色が変わりすぎて、何だか違う場所に来たようだ。まだその頃は、商店街らしい商店街が残っていた気がするが…。

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 ▲岡崎駅のすぐ北側にある踏切。
かつてはここもひなびた商店街だったが、道路拡幅のため古い建物は全て取り壊されて空き地ばかり。円盤型のレトロな街路灯だけが、ここが商店街だったことを物語っている。

ちなみにこの場所の9年前の姿がこちらのブログに掲載されていた。消えゆく貴重な風景を記録してくださっていた方がいらっしゃったことに、本当に感謝。大津波で壊滅した街並みであれ、再開発という名のもとに人の手によって壊された街並みであれ、「もう蘇らない」という点は同じではないか。

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 ▲こちらは岡崎駅西口
本来こちらは駅裏のはずなのだが、東口よりも街並みが成熟していて駅前らしい雰囲気が感じられる。

岡崎駅周辺の散策はさっさと終え、ここから南へ2kmほど進むと、本日の最初の目的地である福岡町(ふくおかちょう)という街にたどり着く。1955年に岡崎市に吸収されるまでは額田郡福岡町という独立した町だったところだ。また、1962年までは岡崎市街からここまで名鉄岡崎市内線という路面電車が走っていたようで、当時から岡崎南郊の拠点都市として栄えていたことが窺える。
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 ▲名鉄岡崎市内線の廃線跡。現在はバス専用道路になっていて、名鉄バスが走っている。
バス専用道路というのも珍しい存在で興味を引くが、実際は歩行者や自転車も普通に通っているし、ときどき自家用車も通っている。写真中央に停まっているクルマは途中でバスに出くわしたようで、待避所まで延々とバックさせられていた。バス以外進入禁止という旨の看板が一応建っているが、半ば黙認なのだろう。
ちなみにバスの本数は昼間帯で片道毎時3本、朝ラッシュ時は1時間に片道7本程度のようだ。多くもなく、少なくもなくと言ったところだが、朝でも渋滞に巻き込まれずに済むのは便利だ。

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 ▲終点の福岡町バス停。ここがかつての岡崎市内線の終点、福岡町駅の跡地にあたる。
バス専用道路はここでループ状になっていて、バスの転回に適した構造になっている。廃止後ずっと放置されているピーチライナーの終点駅を思わせる構造だ。バス停の前には大きな駐輪場が設けられ、周辺にはタクシー会社の事務所や雑貨店などが建ち並び、今でもローカル線の駅前のような雰囲気が残っている。

さて、福岡というのは福をもたらす丘陵地という意味で後から付けられた瑞祥地名らしく、本来このあたりは土呂(とろ)と呼ばれていたようだ。
もともとこの土呂の街は、1468年に蓮如上人が創建した一向宗本宗寺の寺内町だったところ。それが、1564年に起きた三河一向一揆の兵火で街は壊滅。その後、一揆軍に対抗する拠点として、徳川家康の命により土呂城が築かれ、以後は城下町に。1571年には家康の許可により「三八の市」という市場が開かれるようになり、徐々に発展していったという。つまり、乱暴な言い方をすれば、江戸(東京)の街を造ったのも、この土呂の街を造ったのも、同じ徳川家康ということになる。なんだか凄いぞ。

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 ▲土呂城跡。残念ながら遺構はほとんど残っていない。右手に見えるのは蓮如上人のお墓だ。

現在の土呂の街は、南北に伸びる土呂西尾道(県道43号)と、東西に伸びる土呂本通り(県道327号)を中心に、十字型に街が広がっている。まずは二つの通りの交点に建つ福岡郵便局を訪ねてから、さっそく街歩きに繰り出すことにした。

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 ▲まずは土呂本通りから。通称「仲町」とよばれる界隈。
寺内町の面影も、城下町の面影もなく、ただただ渋い昭和レトロの街並みが続いている。この飾らない素朴な雰囲気がまた良いのだが。この近くには福岡町道路元標がひっそりと建っていた。

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 ▲通り沿いの公民館のような建物にはこんな黒板が。幼い頃を思い出して無性に懐かしい。

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 ▲土呂の街が誕生するきっかけとなった本宗寺の付近。このあたりが昔からの中心街だろう。
クルマの往来は多いのだが、4日まで正月休みのお店が多く、ひっそりとしていて何だか寂しい。

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 ▲土呂本通りの裏手には、平安末期の創建といわれる土呂八幡宮がある。
現在の社殿は三河一向一揆の後に再興されたもので、本殿は国の重要文化財に指定されている。正月という割には境内はひっそりとしていて、それがかえって清々しかった。

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 ▲続いて、南北に伸びる土呂西尾道へ。
こちらは通称「新町」とよばれる界隈だ。意外と新しいお店も多く、繁盛している印象を受ける。

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 ▲高須北交差点の近くで。途切れ途切れながらもお店は続いている。商店街の総延長は700mほどか。
それにしても、土呂西尾道も土呂本通りも、かなり交通量の多い道だ。岡崎と西尾・吉良方面を結ぶ幹線道路なので、当たり前と言えば当たり前なのだが、決してのんびりと散策できるような雰囲気ではない。クルマが途切れたタイミングを狙って撮っているので、写真ではそうとは気付きにくいが、こんな小さな街を写真に納めるのに1時間以上も掛かってしまった。

さて、この土呂西尾道をさらに4kmほど南に進むと中島(なかじま)という街に至る。ここも福岡町と同じく、昭和の大合併で岡崎市に編入された小さな街だ。
次回はこの中島の街をしばらく散策した後、西尾市や幸田町方面にまで足を延ばします。

(続く)
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Comment

相変わらずマニアックな散策ポイント!

福岡町~岡崎駅の名鉄バス専用線は地図で
の微妙な表記を見ていつも気になっていました。
戦前はここから更に西尾まで路線があった
みたいですね。

福岡町界隈の通り、正月4日だから車が少ないのかと思ったら、車の切れ目を待って撮影されたのですね。

続編も楽しみにしています。

>9丁目1番地さん
なかなか岡崎に観光に来て福岡町に行く人はいないでしょうね。
バス専用線、私も地図で見て以前から気になっていました。いつかは実際に乗ってみたいものです。
ちなみに西尾まで伸びていた当時は、歴史的な地名の「土呂駅」を名乗っていたようです。
続編ではこの廃線跡に沿って、さらに西尾方面まで向かいます。

>ぞうまささん
本当に交通量の多い道で、撮影に難儀しました。
続編では岡崎市のさらに南の端を訪れます。お楽しみに。
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