何だか気になる東濃の小都市めぐり(後編)

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 ▲駄知の中心街、本町かいわい。無造作に野菜や果物が並んだ八百屋さんが懐かしい雰囲気だ。

目立たないけどちょっとした市街地がありそうな、何だか気になる東濃の小都市をめぐる旅。前回紹介した瑞浪市陶町を訪れた後は、土岐市駄知町(だちちょう)にやって来た。

こちらも1955年までは土岐郡駄知町という独立した町だったところ。というより土岐市自体が、土岐津町だの泉町だの下石町だのといった、駄知と同じくらいの規模の町がいくつか寄り集まってできた都市。さらに、それぞれの町は山で隔てられているため、今でもある程度の独立性を保っている。1つになった今も独立意識が高い、まるで連合王国のような都市なのだ。
一応市の中心として位置付けられているのは、市北部の泉町土岐津町。鉄道駅や高速道路のIC、市役所なども全てこちらに揃っている。が、市南部に位置する駄知町下石町妻木町にもかなりの人口が集中し、地図で見ると建物の密集度も高く、ちょっとした規模の都市があるように見える。果たしてどんな光景が広がっているのか…?
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 ▲まずは道の駅土岐美濃焼街道どんぶり会館に集合。
名前の通り、どんぶりを模した形のユニークな建物だ。厳密には駄知町ではなく隣接する肥田町にあるのだが、実質的に駄知エリアのランドマークになっている。館内には美濃焼の展示販売スペースが広く取られ、作陶体験もできるようになっている。

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 ▲ちなみに我々の訪問の約1週間後、テレビ愛知「ホトチャンネル」の土岐市特集でここが登場。

駄知の街歩きは、この道の駅でみるくさんの知り合いであるにごさん・大野さんと合流したところから始まった。まずは2階のレストラン「キャビン」で腹ごしらえ&本日の作戦会議。ごく普通のレストランなのだが、丼物のメニューを注文すると記念に丼が1つもらえるのが嬉しい。

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 ▲どんぶり会館からの眺め・駄知市街方面。
手前に見えるのは杉焼池。四季桜が綺麗だ。この近くには巨大な稚児岩大橋もあったりして、綺麗に整備された風景が広がっている。

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 ▲どんぶり会館からの眺め・泉町定林寺(土岐市駅東方)方面。
中央の山の谷間に見える街が、国道19号の定林寺交差点から大富交差点にかけてのあたり。山の中腹に見える住宅地は「おりべの丘」、山頂付近に見える巨大な建物群は土岐美濃焼卸センター(織部ヒルズ)。市北部のこの方面は、名古屋の都心まで電車で40分という地の利を活かして開発が著しい。

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 ▲どんぶり会館からの眺め・泉が丘方面。
JR土岐市駅の北方に造成された住宅地で、上の写真のおりべの丘とは異なる。手前に見えるのは泉西小学校。その麓に泉市街(土岐市駅周辺)があるのだが、手前の山に隠れていて見えない。

さて、どんぶり会館からは徒歩で駄知市街へ。ところがこれが意外と遠い。杉焼池のほとりを歩き、旭ヶ丘団地の中を通り抜け、未舗装の坂道を下りきると、ようやく駄知市街の北端にあたる神明という地区にたどり着いた。ちなみにこの未舗装の坂道、砂利に交じってなぜか陶器のかけらがたくさん散らばっていた。さすがは焼き物の街。

で、たどり着いた道を振り返ると…
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 ▲肥田川に架かる橋には謎のアーチが。
これはどう見ても温泉のマーク。だが、どこにも温泉らしきものは見当たらない。
どうやら、かつてはこのあたりに駄知温泉というのがあったらしい。昔は観光客で賑わったのだろうが、すっかり廃墟になってしまって侘びしい光景だ。

さて、このあたりからいよいよ駄知市街の中心部。しばらく歩くと、いかにも焼き物の街らしい光景がたくさん目に入ってきた。
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 ▲民家のような小さな町工場で。まな板のような形の謎の陶器が並んでいるが、一体何の部品なのだろう?

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 ▲こちらは住宅街の中で。ゴミ捨て場に陶器のかけらが大量に捨てられている。

ここからほど近い「東駄知」交差点の周辺地域は、通称「東駅」と呼ばれている。鉄道も通っていないのに「駅」とは不思議に思うかもしれないが、実は1974年まで多治見駅からここまで東濃鉄道という鉄道が通っていたのだ。この場所は、終点の東駄知駅があったことから「東駅」という通称地名が付けられたのだ。
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 ▲東駅こと東駄知駅の跡地。現在はバス停になっている。
だだっ広い広場を中心に商店や金融機関、倉庫などが建ち並び、ゆるいカーブを描きながら細い路地がまるで線路のように伸びている。今も何となく駅っぽい雰囲気だ。この周辺には市役所の支所や郵便局などの施設が集まり、今でも駄知の街の玄関口として機能していることが分かる。

ちなみに東濃鉄道には、東駄知駅とは別に駄知駅という駅もあったようで、その周辺は通称「西駅」と呼ばれている。この東駅から西駅にかけての間が、ちょうど駄知の中心街になるようだ。

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 ▲郵便局から南に進んだ不動川沿い、通称「小川町」の界隈。
単なる古びた住宅街だったのが、ぽつぽつとお店が現れ始め、だんだん中心街らしい風景になってきた。

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 ▲さらに南に進むと、休兵衛街道と呼ばれる通りに出る。
このあたりは通称「本町」と呼ばれ、駄知のメインストリートにあたるようだ。前回紹介した陶と同様にかなり苦戦気味ではあるが、都市としての規模はそれなりに大きいことが分かる。小さな食品スーパーが至近距離で3軒も営業しているし、奥に見える十六銀行は、2つ上の写真(東駄知駅跡)のとは別の店舗だ。通りの総延長も長く、のんびり散策していたらあっという間に時間が経ってしまった。

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 ▲休兵衛街道を散策中、空高いところをこんな物体がゆっくりと移動していった。
これは一体何なのか?詳しい方、情報求む。

本町からさらに南へ進むと「上本町」となり、さらに南へ進み「南山」と呼ばれる高台に出ると、黒壁に煙突の大きな製陶工場が見えてきた。すりばちの生産シェア60%を誇る、マルホン製陶所だ。
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 ▲マルホン製陶所が運営する博物館、南楽窯 すりばち館へ。
すりばち専門の博物館ということで展示はかなりマニアックなのだが、櫛目と呼ばれるすりばちの溝の形状が時代を追うごとに変化しているなど、よくよく観察してみればけっこう面白いものだ。木造のモロ(作業場)がそのまま展示室になっているので、往時の雰囲気をそのまま味わうこともできる。
展示室の奥は販売スペースになっていて、すりばちを始めとする美濃焼製品がずらりと並んでいた。一体何に使うのかという巨大なすりばちから、手の平に乗るような可愛らしくて小さなすりばちまで、本当に多種多様。これは駄知の隠れた名所かもしれない。

さて、そろそろ日が暮れそうなのですりばち館を後にし、どんぶり会館に戻ることとしよう。
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 ▲帰りは、先ほどの休兵衛街道(本町)の1本西を並行する通りを北上。こちらは栄町というようだ。
休兵衛街道よりは若干広く、新しめの建物が多い。休兵衛街道のバイパスにあたるのだろうか?

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 ▲本町と栄町の通りをはしご状に繋ぐ路地にもお店が点在している。
写真は竹屋町と呼ばれる界隈。朽ち果てた街路灯の看板にはパチンコ店の広告が付いていたが、以前はこんなところにもパチンコ店があったのか。

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 ▲栄町の通りから少しだけ西に突き出した盲腸のような通り。
勘の良い方なら分かるかもしれないが、実はこの通りの先に駄知駅があったのだ。そう言われると、通りの広さや奥に見える倉庫の様子が、何となくローカル線の駅のアプローチ道路っぽくも感じられる。

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 ▲駄知駅の跡地には、東濃鉄道(バス)の営業所とバス停が残っている。
鉄道路線が全て廃止された今も「東濃鉄道」と名乗っているこの会社は、多治見市を中心とする東濃地方に多数のバス路線を運営している。同様の例は全国にいくつかあるが、ただ面倒で社名を変えていないだけなのか、それともかつては鉄道を運営していたという自負の現れか。そういえば、この日の午前中に訪れた陶町にも東濃鉄道のバスが走っていた。

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 ▲最後に、長者町バス停付近の高台から一望する夕方の駄知市街。
中央に見える家並みが、ちょうど先ほど歩いた本町・栄町のあたりだ。

ということで、駄知町の街歩きはここらでおしまい。もともとは市北部の土岐市駅周辺(泉町・土岐津町)に張り合うくらいの都市規模を擁していたようで、実際に訪れるまではもう少し賑やかな光景を想像していたのだが、残念ながらかなり衰退してしまっているように見受けられた。鉄道駅や高速道路、市役所があり、名古屋のベッドタウンとして人口が急増している北部が発展するのは必然的なことで、南部の駄知が単なる「街外れ」に成り下がってしまうのもある意味仕方ないのかもしれない。

ただ、街の広さはけっこうなもので、じっくり歩こうとすれば丸一日必要かもしれない。当初の計画では、隣接する下石や妻木の街も歩こうと思っていたが、こちらもけっこうな規模のよう。いつかは、泉、土岐津、肥田などと併せて、土岐市ざんまいの街歩きの一日を楽しんでみたい。

最後になりましたが、一日お付き合いくださったみるくさん、にごさん、大野さん、ありがとうございました。
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Comment

駄知がこんなに規模の大きい町だとは
知りませんでした。
地図を見ても土岐駅近辺の詳細図ばかりで
この辺りは大きい縮尺しか載ってないんですよね。
駄知線跡は私も気になってました。
国土地理院の航空写真サイトに廃止直後の
写真があるんでルートはなんとなく分かりますよ。

今回も読み応えのある記事、楽しませて頂きました。
土岐は確かに北部と南部では全然違う町みたいですよね。
春日井在住の頃は、中央道渋滞時の抜け道として県道66号を多用していたので駄知の辺りはよく走ってはいたんですが、町は歩きませんでした…。
東濃鉄道の廃線跡を歩くのも楽しそうです。

>9丁目1番地さん
人口6万人の都市で、駅から離れているということを考慮すれば、かなりの規模の街ということになりますね。
商業の面では衰退気味ですが、面積はかなり広く歩き応えがありました。
駄知線跡は驚くほどよく残っていますよ。幹線道路と交差するところは、今も歩道橋になっているところが多いみたいです。

>ねじまきてつやさん
県道66号というと駄知バイパス(セラミックスレインボーライン)ですね。
沿道は綺麗に整備された風景が続きますが、下界に広がる昔ながらの渋い風景もまた良いものですよ。
本文にも書きましたが、隣接する下石や妻木もそこそこの市街地がありそうで気になっています。

ご無沙汰しております。
駄知のまちあるきのときは、大変お世話になりました。

何だか、まっちさんのブログを読み返していると、あの時歩いた光景がよみがえってきます!
一人で見るのとは違う、多視点的なまちの見方ができたように思います。

ぜひ、また誘って頂けると嬉しいです!

>にごさん

ご無沙汰しております。
あの日はこちらこそ、楽しくお付き合いいただきありがとうございます。
「多視点的なまちの見方」といえば、私も同感です。
当日にごさんが撮影された写真を拝見したのですが、私が見落としていた美しい光景がたくさん収められていて、なんだか得した気分です。
今後も機会があればぜひ、ご一緒させてくださいね。

まな板の正体

 駄知温泉の次の写真で白いまな板のようなものがありました。あれは、型(かた)と言います。陶器はロクロで作るだけではなく、この型に土を流し込んで作ります。
外に並べてあったのは、型を乾かすためです。
型に何回も土を流し込むと、土の水分を型が吸うため徐々に、型から土が剥がれにくくなります。そのため、あのように天日干しで型を乾かずのです。
また、ごみ捨て場にあったのは陶器のかけらではなく、型の一部です。
あそこでは、陶器を作るための型を作っているのです。

私、自身駄知に在住していますが、このように駄知の良さを伝えくださっている方がいることを知り、嬉しく思います。
長々とコメントしてすいませんでした。

>ままっまりさん

まな板の正体、詳しく教えてくださってありがとうございます。やっと疑問が解けました。
美濃焼については本当に素人で、分からないことだらけですが、こうして見るとなかなか奥が深そうですね。
ままっまりさんは駄知にお住まいなんですね。
見知らぬ街を紹介したときに、地元の方からコメントをいただけるのが何よりも嬉しいです。ありがとうございました。
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