何だか気になる南濃の小都市と郵便局めぐり(前編)

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 ▲養老山脈の山裾に広がる、駒野の昔ながらの街並み。海津市南濃町、津屋川に架かる駒野橋より。

紛らわしいタイトルだが、前々回・前回とアップしてきた東濃シリーズとはまた別に、先週の火曜日は、岐阜県南西部に位置する海津市を訪れた。
海津市といえば、2005年に海津町・平田町・南濃町の3町が合併して出来た都市。旧海津町の中心街である高須と、旧平田町の中心街である今尾は既に訪れたことがあり、いずれもちょっとした市街地が形成されているのだが、旧南濃町はさらっと通り過ぎたことしかなく、今回改めてじっくりと歩いてみることにした。
さて、南濃に向かう前に、この日は珍しく平日のフリー。せっかくなので、垂井以来久々となる郵便局めぐりもすることに。
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 ▲まず最初にやって来たのは、安八郡輪之内町の福束(ふくづか)簡易郵便局
このあたりの郵便局は4年前に軒並み訪問したのだが、当時この局は貯金非取扱局だったためスルーしていたのだ。それが、今年の1月24日に貯金取扱を開始したので、改めて訪問することに。
愛想の良い局員さんは、旅行貯金で東京や北海道からこんな片田舎に来る人がたくさんいる、と驚いていらっしゃった。小さな簡易局でも、貯金取扱の復活と来れば全国から人がやってくるのだろう。旅行貯金をしている人はみんな楽しそうなので、近隣の局だけなら僕もやってみたいな、と局員さん。
この郵便局、カウンターには来客用に「うまい棒」が無料で提供されていた。子ども連れのお客さんが多いのだろう。なかなか気前の良いサービスだ。これにて、改めて輪之内町全局完訪!

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 ▲福束簡易郵便局前の通り。
何も無いただの田舎だと思っていたので、さっさと次の郵便局を目指すつもりでいたのだが、周辺には意外と商店が多い。街路灯には「商工会福束支部 発展会」「商工会福束支部 街路灯組合」と書かれており、かつて商店街だったような名残もあちこちに感じられる。
後で知ったことだが、右側の一番手前に見えるのは2008年2月まで福束簡易郵便局だった建物。2008年2月に一時閉鎖し、2010年2月に現在地に移転・再開、そして今年の1月に貯金取扱を開始、という流れをたどったようだ。

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 ▲同じく、福束簡易郵便局前の通り。右側手前には懐かしい雑貨店が。
道端には「堀津養老線」の標柱が残っていた。現在の県道30号羽島養老線に相当する路線だ。そういえば、以前に訪れた同じ輪之内町の大藪も、この通りからまっすぐ1本道で続いている。南側に現在の路線が開通するまでは、ここが大藪大橋と福束大橋を結ぶメインストリートだったのだろう。

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 ▲福束簡易郵便局の近くに建つ明治戊申館
輪之内町立仁木小学校の元校舎を、1975年に元校長の川瀬知勝さんが自宅に移築してきたもので、1908年(明治41年・明治戊申の年)に建てられたことからこの愛称が付けられたという。武家造りの玄関がユニークだ。
現在は公民館として、あるいは子どもたちの学習・音楽教室として使われているようだ。

はるか100年も前の建物を今も身近な学舎として使っている、そんな福束の子どもたちを羨ましく思いつつ、次は揖斐川に架かる福束大橋を渡って養老町へ。ちょうど3年前に訪れた船附の集落を横目に見つつ国道258号を南下し、養老根古地簡易郵便局(▼)にやって来た。
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養老町で唯一行き残していたのがこの局だ。民家もまばらな寂しい街外れにあるので、一時閉鎖にならないうちに…と急いでやって来たのだが、意外にも新しくて立派な建物。玄関周りを工事していたので、最近建て替えたばかりなのだろうか。牧田川の堤防上に建つこの郵便局は見晴らしがよく、冠雪した伊吹山が遠くに見えた。これにて養老町も全局完訪!
ところで、この郵便局のすぐ近くには「決壊口之碑」と刻まれた石碑が建っていた。案内板によれば、1959年8月の豪雨でこの地点の堤防が破堤し、28日にわたって広大な範囲が浸水の被害に遭ったという。少ない人手で決死の復旧作業にあたったものの、翌月の伊勢湾台風で再び破堤。今度は34日間にわたって浸水が続いたそうだ。もう踏んだり蹴ったりだ。あまりの悲惨さに背筋が凍り付く。「輪中」と呼ばれるこのあたりは、昔から水との闘いが続いてきたのだ。

さて、この後は国道258号の瑞穂大代交差点から広域農道をひた通り、いよいよこの旅の目的である海津市に。ちなみにこのあたり、Mapionの地図で見ると分かるように、養老町の中に海津市の飛地が2つ存在している。その飛地をぶった切るこの広域農道には、各境界にいちいち海津市と養老町の標識が設置されていて笑えた。みるくさんにはぜひご訪問願いたいところだ。

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 ▲海津市でまず最初に訪れたのが、養老鉄道美濃津屋駅近くの下多度郵便局
局名印は「ハリヨの里」のフレーズと、ハリヨの絵をアレンジした〒マークが入った宝印。局内には、局長さんのお母さんの家で採れたという大量の柿がどっさりと置いてあり、お客さんに配っていた。このあたりの郵便局はどこも気前が良い。私もありがたく1ついただいた。

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 ▲下多度局の向かい側で。
先ほどまで遠くに見えていた養老山脈が、すぐ目の前に見える。このあたりはすでに山脈の麓で、斜面に木々が生い茂り鬱蒼とした雰囲気だ。
ちなみにここから美濃津屋駅にかけての狭い通りは伊勢街道と呼ばれ、現在の養老鉄道のルートとほぼ並行して関ヶ原と桑名を結んでいた昔からの街道にあたる。駅前なので、商店街というほどではないものの若干ながら商店が点在している。

下多度局を後にして、伊勢街道のバイパスにあたる県道56号をしばらく南下。平日の昼間だからか、やたらトラックの多い道だ。
さて、このあたりでそろそろこの旅の本題である南濃町の街歩きをしたい。地図で見ると、かつての南濃町役場は駒野駅の近くにあり、町の中心街もこの周辺に形成されている模様。駒野城という城もあったようで、この地区はそれなりに歴史がありそうだ。ただ、もう1ヶ所、南濃町南部の石津駅周辺にもちょっとした商業の集積があるようだ。2万5千分の1地形図を見ると、高須今尾とともにこの石津にも建物密集地を表すハッチがあるが、駒野には存在していない。どちらを南濃町の中心とするかは判断に迷うところだ。とりあえず、まずは駒野地区から歩いてみることにした。

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 ▲駒野駅近くの旧伊勢街道。このあたりの商店街を総称して「駒野商店街」というようだ。
どうやらこの道がこの地区のメインストリートらしい。昔ながらの格子戸の建物や、由緒ありそうな和菓子屋さんなどが残り、何よりもところどころに残るゆるいカーブが街道らしさを演出している。ただ、それなりに商店の集積はあるものの、高須今尾と比べると正直、ちょっと見劣りしてしまう。推測だが、鉄道の通っていない高須・今尾と違って気軽に買い物に出掛けられてしまうため、ストロー効果による衰退が起きてしまったのではないだろうか。

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 ▲駒野商店街の中には、こんなビル建築も多く残っているが、ほとんどが廃墟になってしまっている。
以前はスーパーだったのだろうか。ひっそりと放置された店内がとても侘びしい。

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 ▲旧伊勢街道と直交する、駒野橋・養老町大巻方面に伸びる通り。
この道も昔からあるようで、古い建物がずらりと並んでいる。ちなみに奥に見える割田屋酒店さんだが、この地方(尾張西部~美濃南西部)で街歩きをするたびに同名の酒屋さんを頻繁に見かけるのはなぜだろう。少なくとも、高須今尾船附祖父江弥富甚目寺、津島、佐屋では見たことがある。他に、昔は一宮市にもあったというが、一大チェーン店なのか?謎だ。

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 ▲旧伊勢街道の1本南を並行する、南濃郵便局前の通り。
こちらも駅に近いからか、比較的商店が集中している。もちろん、ここで南濃郵便局に立ち寄ることも忘れずに。局名印は「緑と遺跡の町」のフレーズが入った宝印。遺跡というのは、町内に点在する古墳や貝塚のことだろうか?

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 ▲最後に、旧伊勢街道と駒野駅とを結ぶ通り。奥に見えるのが駒野駅だ。

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 ▲こぢんまりとした養老鉄道駒野駅。これでも養老鉄道の中ではかなり大きめの駅だ。
2007年までは近鉄養老線だったこの路線。「乗って残そう養老鉄道」なんて書かれた横断幕が掲げられているように、経営状態はあまり良くないようだ。大垣と桑名という中規模都市を結んでいるのだが、並行する国道258号の状態が良く、仮に大垣-桑名間で鉄道を利用するにしても、一旦名古屋まで出た方が早くて便利な場合が多い。結局、地元の学生とお年寄りが主要顧客の典型的なローカル線になっている。

当初の予定では、この後は再びクルマで石津方面に向かう予定だったのだが、せっかくだからこの養老鉄道に乗ってみることにした。近鉄時代に一度だけ乗ったことがあるが、それ以来、久々の乗車だ。

ということで、後編では石津の街並みを紹介します。
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