目立たないけどスゴい町!岐阜県垂井町を訪ねて

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 ▲旧中山道、相川橋のたもとで。かつての賑わいが目に浮かんできそうな、昭和レトロの街並みが続く。

先週の火曜日は、岐阜県西部に位置する垂井町(たるいちょう)を訪れた。
垂井といえば、西濃の中心都市・大垣と、合戦で有名な関ヶ原に挟まれていて、正直言ってちょっと影の薄い町。だが、かつては美濃国の国府が置かれていたり、美濃国の一宮である南宮大社があったり、中山道と美濃路の分岐点である垂井追分があったりと、なかなか重要な拠点だったのだ。それだけに歴史的な見どころも多く、最近は行政も観光アピールに力を入れている模様。また、戦国武将・竹中半兵衛の故郷としても知られている。

ということで、町役場でレンタサイクルを借りることにし、さっそく市街地散策に繰り出した。
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 ▲まずは街の玄関口であるJR垂井駅へ。駅前にはちょっとした観光案内所がある。
名古屋から在来線で西に向かうと、大垣を過ぎた途端急に本数が少なくなり、景色も一気に田舎になる。ただ、その中でもこの垂井町は人口も3万人近く、駅前にはささやかながら賑わいが感じられる。北口からは放射状に道路が伸びているが、そのうち並行して北に伸びる2本の通りは駅前商店街となっている。

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 ▲まずは東側の駅前商店街へ。「垂井町 駅前発展会」の表示がある。
どちらかと言うと、こちらの方がお店の数も多く賑やかなようだ。しばらく進んだところには、トミダヤを核店舗とする「プラザタルイ」というショッピングセンターもある。

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 ▲こちらは西側の駅前商店街(県道234号)。
道幅も狭く、賑やかさでは若干劣るものの、なんだか人情味が感じられる街並みだ。古い建物が多く、どうやらこちらの方が昔からある通りのようだ。

この通りを250mほど北に進むと、垂井の昔からのメインストリート、旧中山道に出る。左に進むと旧垂井宿、つまり垂井の中心街に至るが、そちらは後回しにして、先に街外れの東を目指すことにした。
「東の見付」がある相川橋を渡って、さらに梅谷川という小さな川を渡ると、すぐに左右に分かれる道がある。
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 ▲ここが中山道と美濃路の分岐点、垂井追分だ。
横断歩道のところを左に折れると中山道で、美濃赤坂から鵜沼やら馬籠やら軽井沢やらを経て江戸へ。直進して右へ進むと美濃路で、大垣や萩原清須などを経て、名古屋の熱田で東海道と合流する。
横断歩道を渡ったところには、「是より 右東海道大垣みち 左木曽海道たにぐみみち」と刻まれた道標が今も残っている。何でもない風景だが、昔は非常に重要なジャンクションだったのだろう。

ところで、この垂井追分の前にはこんな建物がある。
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 ▲一見、普通の民家か倉庫にしか見えないが、よく見ると「スープ屋さん」という小さな看板が。
何だこれは!怪し過ぎる!

調べてみたところ、どうやら有名なスープカレーのお店らしく、遠方からの来客もあるという。後日、職場の先輩で、愛知・岐阜近郊のスープカレー専門店はほぼ行き尽くしたという極端なまでのスープカレーマニア・Iさんに聞いてみたところ、ここにも行ったことがあるそうだ。Iさん曰く、あらかじめネットで場所を調べてから行ったものの、何度も気付かずに通り過ぎてしまったとのこと。どうでもいいが、こんな簡易郵便局がどこかにありそうな気がしてきた

さて、この近くには垂井郵便局があり、そちらはごく普通の建物なのだが、そこでひとまず100円貯金。そして旧中山道を引き返し、再び垂井の中心街を目指した。
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 ▲いよいよ旧中山道垂井宿に突入。おお、街道チックな光景!
垂井宿はもともと東町・中町・西町の3町に分かれていたようで、写真は東町にあたる。街道はほぼ一直線に続いているが、この写真の場所だけはクランク状にカーブしている。旧街道によく見られる「枡形」だ。
右側の古そうな建物は、1777年創業の旅籠、亀丸屋。参勤交代の大名も宿泊したという由緒ある旅籠で、なんと現在も旅館業を営まれているようだ。この付近には、亀丸屋以外にも数軒の旅館が点在しており、宿場町としての名残が感じられる。一度こんなところに泊まってみたい。

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 ▲旧中山道垂井宿、さらに進んだ中町あたりの風景。この少し先に本陣跡がある。
ひなびた田舎町の商店街といった雰囲気の中に、何気なく歴史的建造物がぽつぽつと残っている。むやみに観光地化され過ぎず、気取らないこの雰囲気は、歩いていて安心感と親近感を覚える。

途中、垂井宿にぎわい推進協議会が運営する「おもてなし処 たるい庵」という施設に寄ってみた。職員の方が周辺の見どころをいくつか紹介してくださり、あれやこれやとパンフレットやらガイドマップやらもいただき、お茶まで出してくださった。本当に至れり尽くせりで、「おもてなし処」の名に恥じていない。
同協議会からは「月刊垂井宿」という機関誌も発行されているようで、それによると「たるい庵」の名称は公募で今年8月に決まったばかりとのこと。さらに今度は、町内のあちこちにある路地や坂道の愛称を募集しているそうだ。結果は11月に公表されるようだが、観光客を呼び寄せるために通り名を制定しようという試みは個人的になかなか興味深い。

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 ▲通り名といえば、中山道の1本北を並行するこの道はそのまま北裏通りと呼ばれている。
表通りの中山道とは対照的に、商店は少なく閑静で落ち着いた雰囲気。

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 ▲中山道の1本南を並行するこちらは南裏通り

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 ▲南裏通り沿いで、こんな古いレンガの建物を見つけた。「場造醸浦三」の文字が見える。
もともとは醤油を造っていた工場らしいが、現在は月極駐車場として使われている。斬新な活用法だが、取り壊してしまうことを思えばはるかにマシだろう。

再び旧中山道に戻り、今度は西の方向を目指した。先ほどの「たるい庵」で、垂井一里塚はぜひ見ておくべきとの話を伺ったのだ。上り坂なので自転車で行くのは大変かも…とおっしゃっていたが、地図で見たらせいぜい1.5kmほどの距離。まだ時間には余裕があり、行けなくもなさそうだ。
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 ▲賑やかな街並みを通り過ぎると、やがて宿場の西の入口、「西の見付」に至る。
西の見付から前川橋を眺めたこの光景は、歌川広重の「木曽街道六十九次」にも描かれている。

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 ▲さらにしばらく進み、松島稲荷神社で一休み。
渡来豪族の秦氏が建てたと言われる神社だ。お稲荷さんなのに、白い小さな猫が1匹たたずんでいるのが微笑ましい。

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 ▲長い坂道を上りきると、ようやく垂井一里塚が見えてきた。
地図では近そうに見えたが、延々と続く上り坂に心が折れそうになっていた。坂のてっぺんに一里塚が見えてホッとしたときは、なんだか昔の旅人の気持ちが分かった気がした。
ちなみに、中山道の一里塚でこのような完全な形で現存しているのは、ここと志村(東京都板橋区)の2ヶ所だけ。ただ、志村のそれは移設されていて元の場所には無いので、ここが唯一と言っても良いだろう。

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 ▲振り返るとこんな良い眺め。遠くに見えるのは岐阜城の金華山だろうか。

さて、再び旧中山道を引き返し垂井市街へ。今度は下り坂なので、颯爽と駆け下りる。

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 ▲こちらは中山道と直交し、垂井市街を南北に貫くメインストリート(県道257号)。土蔵の板塀が美しい。
この通り、どんないわれがあるのかはよく分からないが、少なくとも南宮大社から垂井市街を経て旧美濃国府跡までを一直線に結んでいるので、昔からの主要道であることに間違いないだろう。この近くには、垂井曳軕祭に使われる中町の山車蔵、「紫雲閣」もある。そして奥に見えるのは南宮大社の石鳥居だ。ちょっとした見どころが集まっている。

この通りをどんどん北へ進むと、またしてもなだらかな上り坂が延々と続き、府中と呼ばれる地区に至る。
ひとまず垂井府中簡易郵便局で100円貯金。民家のような建物だが、なんと宝印が2種類も用意されていて、そのうち1つは「地下に眠る古代都市」という何ともロマンチックなフレーズ入りだった。
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 ▲そう、ここには府中の名の由来となった美濃国府跡があるのだ。
美濃国府というのは、奈良時代から平安時代にかけて美濃国を統治していた政庁。今でいう県庁のようなものだ。1991年に行われた調査によりさまざまな遺物が発掘され、ここにかなり大規模な国府があったことが明らかになった。何も知らなければただの野原にしか見えないが…。

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 ▲垂井市街に戻り、先ほどと同じ南北のメインストリートへ。
この近くには、垂井という地名の由来となった湧き水、「垂井の泉」がある。今では地元の子どもたちの遊び場になっているようだ。無邪気に遊ぶ子どもたちが、こうして何気なく歴史と共存している。

ここからさらに南下し、JR東海道線の陸橋を越え、国道21号を横断し、さらに東海道新幹線の高架をくぐると…
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 ▲南宮大社の大鳥居が見えてきた。
高さ21mを誇る、垂井町南部のランドマーク。新幹線の高架のすぐ脇に建っているので、車窓から見たことがあるという方も多いのではないだろうか。

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 ▲さらに進むと、南宮大社の門前町、宮代商店街が続く。平日の夕方なのでひっそりとしている。

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 ▲そして最後の目的地、美濃国一宮・南宮大社へ。
現在の社殿は関ヶ原の合戦で焼失した後、江戸3代将軍の徳川家光によって再建されたものだ。時間が時間だけに、境内には誰もいなくてひっそりとしていたが、西日をバックに赤々と輝く高舞殿の姿は強く印象に残った。

ということで、垂井町の旅はこれで終わり。
冒頭にも書いた通り、関ヶ原と大垣という有名スポットに挟まれているせいで存在感が薄く、過小評価されがちではあるが、「目立たないけどスゴい」という印象を抱かせてくれる、そんな町だった。今回は時間の都合で行けなかったが、竹中氏陣屋跡や朝倉真禅院、不破の滝など、他にも見どころはたくさん。名古屋や岐阜からのアクセスも良いので、ぜひ一度訪問されてみてはいかがだろうか。

参考:岐阜県垂井観光ガイド http://www.tarui-kanko.jp/
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Comment

垂井の記事、楽しく拝読しました。

7年間ほぼ毎週通過した垂井も、結局相川にかかるこいのぼりと火の見櫓を見に少し歩いただけでした。

機会があればゆっくり歩いてみたい町の1つになりました。

異動によりブログ、名前とも新しくスタートしました。これからもよろしくお願いします。

>ぞうまささん

再び三河に戻られたようですね。長らくの赴任生活、お疲れさまでした。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。
相川のこいのぼりはパンフレットで見ましたが、ぜひ一度見てみたいですね。
ちなみに一昨日は仕事で関ヶ原を訪れたのですが、関ヶ原の旧中山道は拡幅されて国道になっているので、街道としての魅力はやはり垂井にはかないませんね。
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