2009.11.17
ちょっと遠回りな東京旅行(2009.9) その6
(前回からの続き)
磯部駅からJR信越線の下り電車に乗り、終点の横川駅に到着した。

横川駅。磯部駅は簡易Suica改札だったが、こちらはちゃんとした自動改札がある。

駅前風景。奥の突き当たりが旧中山道。
横川といえばやはり峠の釜めしだが、右側の建物がその製造元であるおぎのやの本店。左側の建物はおぎのやのお食事処だ。これとは別に、駅の横にも小さな売店がある。せっかく横川に来たのだから、ぜひ食べて帰ろう。

本店にはおぎのや資料館が併設されている。入館無料で、おぎのやに関するさまざまなアイテムが所狭しと展示されている。鉄道に関する資料も多い。というか、むしろそっちの方が目立っている。
さて、この横川のあたりは、現在は磯部駅や安中榛名駅と同じ安中市(あんなかし)の一部になっているが、2006年までは碓氷郡松井田町(うすいぐんまついだまち)という独立した自治体だった。が、合併に反対する住民が多いらしく、今も分離独立運動が激しいという。
平成の大合併ではあちこちで強引な市町村合併が行われたが、こんな運動が起こるということは、よほど何かあったのだろうか。

↑横川駅の近くの電柱にはこんなものが貼ってあった。合併への当て付けか。
(注:揖斐川町は岐阜県西部にある町です)
続いて、横川駅前の旧運転区跡地にある碓氷峠鉄道文化むらにやって来た。

が、なんと休園日だった。通常は火曜が休園だが、連休明けだったので変則的になっていたのだ。
ああ、なんてこった。せっかく旅館で割引券ももらったのに。とにかく残念である。
ちなみに上の写真は塀の外から眺めたところ。これが碓氷峠の急勾配を重連で引っ張っていたEF63か。奥に見えるのはトロッコ列車だろう。
気を取り直して、鉄道文化むらの隣にある横川郵便局へ。集配センターが併設され、やや大きくて綺麗な建物だ。
100円貯金をしようと入金票を記入していたら、局名印に関する案内が貼ってあった。釜めしのイラスト入りの宝印と、関所のイラストと「碓氷峠の関所跡」のフレーズが入った宝印があるようだ。場所柄だけに、旅行貯金者も多く訪れるのだろう。せっかくなので、50円ずつ貯金して両方のゴム印を押していただいた。
郵便局を後にし、旧中山道をしばらく歩くと、群馬県指定史跡の碓氷関所跡が見えてきた。

中山道の碓氷関所は、古くは899年に設けられ、元和年間(1615-1623)にこの地に移ってきたという。この門は、当時使用されていた門柱や門扉、屋根材、台石などをもとに1959年に復元されたものだそうだ。
江戸時代には各地の関所で厳しい取り締まりが行われ、「入鉄砲に出女」という言葉が知られている。そんな時代が嘘のように、現在は多くの人とモノがこの碓氷峠を通過している。
関所の前で引き返し、再び旧中山道を東に向かって歩いた。

昔ながらの家並みと商店が混在し、なかなか風情ある街並みだ。

こちらは、旧中山道のバイパスにあたる国道18号。たまたま車の途切れたタイミングを見計らって撮影したが、大型車がひっきりなしに往来して圧倒されそうになる。今では名実ともにこちらが横川のメインストリートだ。
中央の山の麓に見える建物はおぎのやドライブイン。こんな巨大な建物じゃなくて、山あいのひなびた小さな店であってほしいと思うのは旅人のわがままだろうか。
ひととおり散策をしてから、再び横川駅に戻ってきた。
時刻は11時50分。次の高崎行きの発車まであと10分だ。これに乗り損ねると、次は1時間後までない。今日はまだまだ行きたいところがたくさんあるので、時間を有効に使いたかった。
せっかく横川まで来ておいて峠の釜めしを食べずに帰るのはあまりに勿体ない。しかし、駅前のお食事処で食べるにはあまりに慌ただしいし、ロングシートの107系の車内で食べるのもちょっと抵抗がある。
そう思いながら何気なく駅を覗いてみると、そこに停まっていたのは、

ボックスシートの115系だった。
というわけで、駅前の売店で急いで釜めしを買い、この高崎行き(115系4両)に乗車した。
後で知ったことだが、どうやら現在の信越線では115系と107系がほぼ半々の割合で運用されているようだ。
ほどよく空いた車内でボックスシートに座り、大きな旅行鞄を網棚に載せてから、一呼吸を置いて、釜めしの紐を解く。

この瞬間がわくわくする。本当に昔から変わらない駅弁のスタイル、コンビニ弁当にはない味わいがある。
蓋を開けると小さな湯気が立ちのぼり、うずらの卵、栗、ごぼう、鶏肉、椎茸、グリーンピース、杏子、筍、紅生姜がぎっしりと詰め込まれている。小さなプラスチックケースに入った香の物も付いていた。

妙義山を眺めながら食べる釜めし。ああ、まさにこれがしたかったのだ。(箸を突っ込んだままで行儀悪くてゴメンナサイ)
この素朴な味わいがたまらない。昨日磯部温泉で食べた磯部せんべいにしてもそうだが、まるで群馬県の純朴な風土を象徴しているかのようだ。
電車は心地よく揺れながら山間から平野へと下り、徐々に高崎の市街地に近付いてきた。
住宅街の外れにある北高崎という駅を出ると、しばらくして大きく右にカーブし、上越線と新幹線の線路が左手から近付いてきた。まもなく終点の高崎だ。たくさんの線路が並ぶ中を慎重にゆっくりと走り、旅情を掻き立てるような乗り換え案内のアナウンスが長々と続く。大きな駅に到着するときに特有の緊張感が、ぞくぞくと込み上げてきた。
次回はこの高崎駅で途中下車し、市街地を散策します。東京まであと少し!
(続く)
磯部駅からJR信越線の下り電車に乗り、終点の横川駅に到着した。

横川駅。磯部駅は簡易Suica改札だったが、こちらはちゃんとした自動改札がある。

駅前風景。奥の突き当たりが旧中山道。
横川といえばやはり峠の釜めしだが、右側の建物がその製造元であるおぎのやの本店。左側の建物はおぎのやのお食事処だ。これとは別に、駅の横にも小さな売店がある。せっかく横川に来たのだから、ぜひ食べて帰ろう。

本店にはおぎのや資料館が併設されている。入館無料で、おぎのやに関するさまざまなアイテムが所狭しと展示されている。鉄道に関する資料も多い。というか、むしろそっちの方が目立っている。
さて、この横川のあたりは、現在は磯部駅や安中榛名駅と同じ安中市(あんなかし)の一部になっているが、2006年までは碓氷郡松井田町(うすいぐんまついだまち)という独立した自治体だった。が、合併に反対する住民が多いらしく、今も分離独立運動が激しいという。
平成の大合併ではあちこちで強引な市町村合併が行われたが、こんな運動が起こるということは、よほど何かあったのだろうか。

↑横川駅の近くの電柱にはこんなものが貼ってあった。合併への当て付けか。
(注:揖斐川町は岐阜県西部にある町です)
続いて、横川駅前の旧運転区跡地にある碓氷峠鉄道文化むらにやって来た。

が、なんと休園日だった。通常は火曜が休園だが、連休明けだったので変則的になっていたのだ。
ああ、なんてこった。せっかく旅館で割引券ももらったのに。とにかく残念である。
ちなみに上の写真は塀の外から眺めたところ。これが碓氷峠の急勾配を重連で引っ張っていたEF63か。奥に見えるのはトロッコ列車だろう。
気を取り直して、鉄道文化むらの隣にある横川郵便局へ。集配センターが併設され、やや大きくて綺麗な建物だ。
100円貯金をしようと入金票を記入していたら、局名印に関する案内が貼ってあった。釜めしのイラスト入りの宝印と、関所のイラストと「碓氷峠の関所跡」のフレーズが入った宝印があるようだ。場所柄だけに、旅行貯金者も多く訪れるのだろう。せっかくなので、50円ずつ貯金して両方のゴム印を押していただいた。
郵便局を後にし、旧中山道をしばらく歩くと、群馬県指定史跡の碓氷関所跡が見えてきた。

中山道の碓氷関所は、古くは899年に設けられ、元和年間(1615-1623)にこの地に移ってきたという。この門は、当時使用されていた門柱や門扉、屋根材、台石などをもとに1959年に復元されたものだそうだ。
江戸時代には各地の関所で厳しい取り締まりが行われ、「入鉄砲に出女」という言葉が知られている。そんな時代が嘘のように、現在は多くの人とモノがこの碓氷峠を通過している。
関所の前で引き返し、再び旧中山道を東に向かって歩いた。

昔ながらの家並みと商店が混在し、なかなか風情ある街並みだ。

こちらは、旧中山道のバイパスにあたる国道18号。たまたま車の途切れたタイミングを見計らって撮影したが、大型車がひっきりなしに往来して圧倒されそうになる。今では名実ともにこちらが横川のメインストリートだ。
中央の山の麓に見える建物はおぎのやドライブイン。こんな巨大な建物じゃなくて、山あいのひなびた小さな店であってほしいと思うのは旅人のわがままだろうか。
ひととおり散策をしてから、再び横川駅に戻ってきた。
時刻は11時50分。次の高崎行きの発車まであと10分だ。これに乗り損ねると、次は1時間後までない。今日はまだまだ行きたいところがたくさんあるので、時間を有効に使いたかった。
せっかく横川まで来ておいて峠の釜めしを食べずに帰るのはあまりに勿体ない。しかし、駅前のお食事処で食べるにはあまりに慌ただしいし、ロングシートの107系の車内で食べるのもちょっと抵抗がある。
そう思いながら何気なく駅を覗いてみると、そこに停まっていたのは、

ボックスシートの115系だった。
というわけで、駅前の売店で急いで釜めしを買い、この高崎行き(115系4両)に乗車した。
後で知ったことだが、どうやら現在の信越線では115系と107系がほぼ半々の割合で運用されているようだ。
ほどよく空いた車内でボックスシートに座り、大きな旅行鞄を網棚に載せてから、一呼吸を置いて、釜めしの紐を解く。

この瞬間がわくわくする。本当に昔から変わらない駅弁のスタイル、コンビニ弁当にはない味わいがある。
蓋を開けると小さな湯気が立ちのぼり、うずらの卵、栗、ごぼう、鶏肉、椎茸、グリーンピース、杏子、筍、紅生姜がぎっしりと詰め込まれている。小さなプラスチックケースに入った香の物も付いていた。

妙義山を眺めながら食べる釜めし。ああ、まさにこれがしたかったのだ。(箸を突っ込んだままで行儀悪くてゴメンナサイ)
この素朴な味わいがたまらない。昨日磯部温泉で食べた磯部せんべいにしてもそうだが、まるで群馬県の純朴な風土を象徴しているかのようだ。
電車は心地よく揺れながら山間から平野へと下り、徐々に高崎の市街地に近付いてきた。
住宅街の外れにある北高崎という駅を出ると、しばらくして大きく右にカーブし、上越線と新幹線の線路が左手から近付いてきた。まもなく終点の高崎だ。たくさんの線路が並ぶ中を慎重にゆっくりと走り、旅情を掻き立てるような乗り換え案内のアナウンスが長々と続く。大きな駅に到着するときに特有の緊張感が、ぞくぞくと込み上げてきた。
次回はこの高崎駅で途中下車し、市街地を散策します。東京まであと少し!
(続く)
2009.11.13
ちょっと遠回りな東京旅行(2009.9) その5
(前回からの続き)
2009.9.24
温泉を満喫した翌朝、再び温泉街をゆっくりと散策してみた。

磯部温泉街のメインストリート。昨日は曇っていて全く見えなかった妙義山が、今日は遠くにうっすらと見える。そして、平日の朝だから人通りも多く、街に活気がある。
通り沿いには「磯部温泉芸妓組合」と書かれた廃墟があり、その周辺だけは若干のわびしさが漂っていた。
街中を歩いていると、あちこちから煎餅を焼く香ばしいにおいが漂ってくる。温泉の湯を膨張剤にして作っているという磯部せんべいだ。昨日旅館に置いてあったのをいただいたが、何とも素朴な味だった。

愛妻橋より、碓氷川と妙義山。
碓氷川を渡り、温泉街の北側を通る国道18号に出てみた。すると、こんなものが。

随分遠いところに来た気がしていたが、なんと名古屋から直行便が出ていたとは。一気に現実に引き戻された気分だ。

それでも、国道沿いから見える妙義山の姿はやはり旅情を掻き立てる。なるほどこれは確かに特徴的な山だ。
その後、国道から少し奥に入ったところにある郷原簡易郵便局に向かった。小さな集落の中の、民家の一部を改装したような郵便局だ。
9時前に着いたので、局員さんとしばし雑談しながら100円貯金。入り組んだ狭い路地の奥にあって、地元の人でも場所がわかりにくいとのことだが、私はあらかじめ地図で調べてから徒歩で向かったので、さほど迷うこともなく行くことができた。
ちなみにこの郷原簡易郵便局は、通常の郵便局より1時間早く、15時までで閉まってしまう。簡易郵便局の中にはごくまれにあるが、訪問の際はご注意を。
続いて、郷原簡易局からほど近い海雲寺へ。ここは招き猫の寺として知られている。

境内には可愛らしい招き猫が数体いたが、あまり観光地という雰囲気ではなく、ごく普通の素朴なお寺だ。
欄干に招き猫があしらわれている鉱泉橋を渡って再び磯部温泉街に戻り、磯部公園へ。「愛妻の池」という池の畔に文学碑が並んでいる、静かな公園だ。

前回の記事にも書いたが、ここ磯部温泉は温泉記号発祥の地として知られ、万治4年(1661年)の絵図に記されている日本最古の温泉記号が石碑に再現されている。現在の一般的な温泉記号と比べると、クラゲのように細長い記号だったようだ。
磯部公園の前にある磯部郵便局に寄り、一旦旅館に戻ってから、今度はJR信越線の磯部駅にやって来た。

磯部駅構内。簡易Suica改札は設置されているが、ローカルムード漂う駅だ。
かつては特急街道だった信越線も、長野新幹線の開通により横川−軽井沢間が分断され、事実上の盲腸線になってしまった。本数も激減したそうだ。

磯部駅横の跨線橋より、横川方の線路。遠くに妙義山を望む。複線の線路も、今では持て余し気味のようだ。

さて、その磯部駅から横川行きの普通電車に乗り、終点の横川駅に到着した。ロングシートの107系、2両編成だった。
横川駅は今でこそ寂しい終着駅になっているが、長野新幹線が開通するまでは、ここから碓氷峠を越えて軽井沢への線路が繋がっていた。急勾配の碓氷峠は通常の列車では登ることができないため、この横川駅で補助機関車の連結が行われていた。その名残で現在も構内は広く、また駅前の運転区の跡地には碓氷峠鉄道文化むらがある。そして、この機関車の連結作業の合間に売られていた駅弁が、あの有名な「峠の釜めし」である。
次回は横川の街を散策しつつ、碓氷峠鉄道文化むらを目指します。
(続く)
2009.9.24
温泉を満喫した翌朝、再び温泉街をゆっくりと散策してみた。

磯部温泉街のメインストリート。昨日は曇っていて全く見えなかった妙義山が、今日は遠くにうっすらと見える。そして、平日の朝だから人通りも多く、街に活気がある。
通り沿いには「磯部温泉芸妓組合」と書かれた廃墟があり、その周辺だけは若干のわびしさが漂っていた。
街中を歩いていると、あちこちから煎餅を焼く香ばしいにおいが漂ってくる。温泉の湯を膨張剤にして作っているという磯部せんべいだ。昨日旅館に置いてあったのをいただいたが、何とも素朴な味だった。

愛妻橋より、碓氷川と妙義山。
碓氷川を渡り、温泉街の北側を通る国道18号に出てみた。すると、こんなものが。

随分遠いところに来た気がしていたが、なんと名古屋から直行便が出ていたとは。一気に現実に引き戻された気分だ。

それでも、国道沿いから見える妙義山の姿はやはり旅情を掻き立てる。なるほどこれは確かに特徴的な山だ。
その後、国道から少し奥に入ったところにある郷原簡易郵便局に向かった。小さな集落の中の、民家の一部を改装したような郵便局だ。
9時前に着いたので、局員さんとしばし雑談しながら100円貯金。入り組んだ狭い路地の奥にあって、地元の人でも場所がわかりにくいとのことだが、私はあらかじめ地図で調べてから徒歩で向かったので、さほど迷うこともなく行くことができた。
ちなみにこの郷原簡易郵便局は、通常の郵便局より1時間早く、15時までで閉まってしまう。簡易郵便局の中にはごくまれにあるが、訪問の際はご注意を。
続いて、郷原簡易局からほど近い海雲寺へ。ここは招き猫の寺として知られている。

境内には可愛らしい招き猫が数体いたが、あまり観光地という雰囲気ではなく、ごく普通の素朴なお寺だ。
欄干に招き猫があしらわれている鉱泉橋を渡って再び磯部温泉街に戻り、磯部公園へ。「愛妻の池」という池の畔に文学碑が並んでいる、静かな公園だ。

前回の記事にも書いたが、ここ磯部温泉は温泉記号発祥の地として知られ、万治4年(1661年)の絵図に記されている日本最古の温泉記号が石碑に再現されている。現在の一般的な温泉記号と比べると、クラゲのように細長い記号だったようだ。
磯部公園の前にある磯部郵便局に寄り、一旦旅館に戻ってから、今度はJR信越線の磯部駅にやって来た。

磯部駅構内。簡易Suica改札は設置されているが、ローカルムード漂う駅だ。
かつては特急街道だった信越線も、長野新幹線の開通により横川−軽井沢間が分断され、事実上の盲腸線になってしまった。本数も激減したそうだ。

磯部駅横の跨線橋より、横川方の線路。遠くに妙義山を望む。複線の線路も、今では持て余し気味のようだ。

さて、その磯部駅から横川行きの普通電車に乗り、終点の横川駅に到着した。ロングシートの107系、2両編成だった。
横川駅は今でこそ寂しい終着駅になっているが、長野新幹線が開通するまでは、ここから碓氷峠を越えて軽井沢への線路が繋がっていた。急勾配の碓氷峠は通常の列車では登ることができないため、この横川駅で補助機関車の連結が行われていた。その名残で現在も構内は広く、また駅前の運転区の跡地には碓氷峠鉄道文化むらがある。そして、この機関車の連結作業の合間に売られていた駅弁が、あの有名な「峠の釜めし」である。
次回は横川の街を散策しつつ、碓氷峠鉄道文化むらを目指します。
(続く)
2009.11.09
名古屋より、秋を感じて
今日は夕方から千種区の自由ヶ丘方面に所用があったので、ついでにふらりと散策してみた。

本山の四谷通り沿いにある桃巌寺(とうがんじ)。ここの前の道路は今までに数えきれないほど通っているが、来るのは初めてだ。

千種区日和町(このあたり)から眺めた夕空。この界隈は起伏が激しくて、ちょっと高台になっている。
住宅街を歩いていたら、小学生くらいの男の子2人組が「こんにちわー」と声を掛けてくれた。ああ、ほのぼのするなあ。

マンションの隙間から覚王山日泰寺の五重塔がひょっこり顔を出していたりして、まるで古都の風景のようだ。

不思議な名前の猫ヶ洞池(ねこがほらいけ)。右奥に東山スカイタワーが見える。

そして帰り際に、名古屋駅セントラルタワーズの15階から見た駅前風景。
セントラルタワーズでは、先月頃からもうタワーズライツの準備が始まっている。

家の近所には、もうイルミネーションを始めていらっしゃるちょっと気の早いお宅がありました。

本山の四谷通り沿いにある桃巌寺(とうがんじ)。ここの前の道路は今までに数えきれないほど通っているが、来るのは初めてだ。

千種区日和町(このあたり)から眺めた夕空。この界隈は起伏が激しくて、ちょっと高台になっている。
住宅街を歩いていたら、小学生くらいの男の子2人組が「こんにちわー」と声を掛けてくれた。ああ、ほのぼのするなあ。

マンションの隙間から覚王山日泰寺の五重塔がひょっこり顔を出していたりして、まるで古都の風景のようだ。

不思議な名前の猫ヶ洞池(ねこがほらいけ)。右奥に東山スカイタワーが見える。

そして帰り際に、名古屋駅セントラルタワーズの15階から見た駅前風景。
セントラルタワーズでは、先月頃からもうタワーズライツの準備が始まっている。

家の近所には、もうイルミネーションを始めていらっしゃるちょっと気の早いお宅がありました。
2009.11.08
ちょっと遠回りな東京旅行(2009.9) その4
(前回からの続き)
長野駅から、長野新幹線のあさま530号東京行きに乗った。JR東日本の新幹線に乗るのは今回が初めてだ。

東京と長野を結ぶ長野新幹線は、名古屋に住む私にとっては正直言って縁がない。なので、こんな機会だからしっかり景色を見ておこうと思ったのだが、車窓はトンネルと塀ばかりでちっとも面白くないのだ。おまけに薄曇りで、山もろくに見えない。長野の街を延々と歩き回った疲れから、半分以上居眠りしてしまった。
ともあれ、長野を出ると上田、佐久平、軽井沢と各駅に停車。どの駅からも大量に乗ってきて、軽井沢からはどこからこんなに湧いてきたのかと思うほど大量の乗客が。とうとう立ち客まで発生。さすが首都圏のUターンラッシュだ。恐るべし。
その軽井沢を出るといよいよ長野県から群馬県に入る。そしてほどなく安中榛名駅に到着した。新幹線の秘境駅とか、政治駅だの税金の無駄遣いだのと散々な言われようをしたあの駅である。誰一人見向きもしないこの駅で席を立ち、扉に向かった。
そう、今回の旅行の目的の一つは、この駅を訪れることにあった。
安中榛名では、私を含めて5名くらいが降りたようで、乗ったのは15名くらいのようだった。さすがに乗降ゼロということは無かったが、Uターンラッシュの真っただ中でこれである。普段は一体どんな様子なのか。
そしてこの安中榛名駅、発車メロディ(これ、メロディか?)がまたぶっ飛んでいる。
[高画質で再生]
安中榛名駅発車メロディ
[広告] VPS
首都圏以外の人にはあまり馴染みがないかもしれないが、JR東日本では多くの駅で、発車ベルの代わりにメロディを鳴らしている。長野新幹線もそうで、他の駅はごく普通のメロディなのだが、この駅だけがこんな警告音みたいなやつなのだ。
ある友人曰く「現代病をイメージした曲」。ホームは鬱蒼とした森に囲まれているので、余計に不気味に感じる。
さらに、列車が発車した後にホームゲートが閉まるときには、映画「白い恋人たち」のテーマ曲(ピアノアレンジ)が流れるのだが、これがまた物悲しくてたまらない。
改札の外に出ると、やたら規模が大きい割にはローカルムード漂うコンコースに出た。改札の横には峠の釜めしで有名な「おぎのや」の売店があり、また、そこそこの広さの待合室もあった。

安中榛名駅。
駅前の駐車場は意外にも大盛況で、満車になっていた。新幹線利用客に限り無料で利用できるようなので、これは穴場なのかもしれない。また、駅前からは信越線磯部駅行きのバスが出ているが、こちらは閑散としていた。

開業当時は本当にとんでもない秘境駅だったようだが、東京駅まで最速59分という地の利を生かし、JR東日本によって「びゅうヴェルジェ安中榛名」という住宅地が開発されているようだ。とは言え、駅前に建物らしい建物は全く見あたらない。
それにしても本当に静かなところだ。鳥と虫の声しか聞こえない。ときどき駅のアナウンスと新幹線の通過する音が静寂を切り裂く。

やけに広い駅前の通りをしばらく歩くと、信号機があった。どうやらこれが安中榛名で唯一の信号のようだ。が、交通量がほぼゼロなので、こんなふうに車道から堂々と撮影できる。
この交差点で、ようやく1軒のコンビニ(デイリーヤマザキ安中榛名店)を見つけた。これもどうやら安中榛名で唯一のお店らしい。ただし24時間営業ではないようだ。びゅうヴェルジェ安中榛名のコミュニティプラザを兼ねているようだが、ひっそりとしていた。
さらに駅前の通りを南下すると、不思議な構造物が見えてきた。

天空の丘というらしい。ちょっとシュールな光景だ。この先は一体どうなっているのだろう、と思いながらモニュメントをくぐると、

意外にも住宅がたくさん建ち並んでいた。駅の周辺に何もなかったのは、近隣商業地域に指定されているから、すなわち住宅用の区域ではないからだ。大型商業施設でも誘致するつもりなのだろうが、この状況じゃどこも出店したがらないわな。

とはいえ、街は徐々にできつつあるようだ。犬の散歩をしている人や、庭いじりをしている人なんかもいたりして、生活感は感じられる。車さえあれば、さほど生活には困らないのかもしれない。

このあたりの地名は「秋間みのりが丘」となっている。まさに東京郊外のベッドタウンといった雰囲気だ。

なかなかお洒落な住宅街だ。しばらく散策してみたが、一応それなりのニュータウンができつつあるように見える。安中榛名駅の利用者数も、年々増え続けているようだ。
再び安中榛名駅に戻り、磯部駅行きのバスに乗った。小さくて可愛らしいバスだ。

気さくな運転手さんと談笑しながらバスに揺られる。平日の朝は新幹線通勤の人を5人くらい乗せるそうだが、それ以外は地元のお年寄りや学生ばかりとのこと。また、今日は曇っていてよく見えないが、独特な形が美しい妙義山を、せっかく群馬に来たのならぜひ見るべきだ、と教えてくださった。
「妙義山は横川の方から見たんじゃだめだよ、嫁の背中を見てるみてぇで迫力がねぇ」という言葉が妙に印象に残った。
乗客は途中まで私一人だったが、途中の碓氷病院前のあたりから数名乗ってきた。このあたりは旧中山道が通っているためか、ちょっとした街になっていて、小規模な商店街もあった。
20分ほどバスに揺られ、終点の「磯部駅」の1つ手前の「磯部温泉」で降りた。

磯部温泉街。いい具合にひなびた温泉街だ。
この磯部温泉は、誰もが知っているあの温泉記号(
)の発祥の地なのだそうだ。1661年に幕府から出された評定文の添付図にこの記号が描かれており、それより古い資料が見つかっていないことから、ここが温泉記号発祥の地となったわけだ。
街中には足湯もあり、若い人も多く賑わっていた。この日はこの磯部温泉に泊まることにした。

創業100周年の老舗旅館、旭館さんで。
ちなみに私は、群馬県に来るのはこれが初めてである。首都圏で唯一足を踏み入れたことが無かったのが群馬県で、それもあって今回はここに泊まることにしたのだ。これで経県値、一気に4UP。
群馬県といえば、「日本一影が薄い都道府県」の座を栃木県と争っているらしいが、最近は某お笑い芸人の出現で、栃木県にすら負け続けているという。何だかあまりに群馬県民が気の毒だ。この旅行を機に、ぜひとも群馬県の魅力を再発見してみようと思う。
次回はやっと2日目。磯部温泉街の周辺を散策した後、碓氷峠と峠の釜めしで有名な横川を目指します。
(続く)
長野駅から、長野新幹線のあさま530号東京行きに乗った。JR東日本の新幹線に乗るのは今回が初めてだ。

東京と長野を結ぶ長野新幹線は、名古屋に住む私にとっては正直言って縁がない。なので、こんな機会だからしっかり景色を見ておこうと思ったのだが、車窓はトンネルと塀ばかりでちっとも面白くないのだ。おまけに薄曇りで、山もろくに見えない。長野の街を延々と歩き回った疲れから、半分以上居眠りしてしまった。
ともあれ、長野を出ると上田、佐久平、軽井沢と各駅に停車。どの駅からも大量に乗ってきて、軽井沢からはどこからこんなに湧いてきたのかと思うほど大量の乗客が。とうとう立ち客まで発生。さすが首都圏のUターンラッシュだ。恐るべし。
その軽井沢を出るといよいよ長野県から群馬県に入る。そしてほどなく安中榛名駅に到着した。新幹線の秘境駅とか、政治駅だの税金の無駄遣いだのと散々な言われようをしたあの駅である。誰一人見向きもしないこの駅で席を立ち、扉に向かった。
そう、今回の旅行の目的の一つは、この駅を訪れることにあった。
安中榛名では、私を含めて5名くらいが降りたようで、乗ったのは15名くらいのようだった。さすがに乗降ゼロということは無かったが、Uターンラッシュの真っただ中でこれである。普段は一体どんな様子なのか。
そしてこの安中榛名駅、発車メロディ(これ、メロディか?)がまたぶっ飛んでいる。
[高画質で再生]
安中榛名駅発車メロディ
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首都圏以外の人にはあまり馴染みがないかもしれないが、JR東日本では多くの駅で、発車ベルの代わりにメロディを鳴らしている。長野新幹線もそうで、他の駅はごく普通のメロディなのだが、この駅だけがこんな警告音みたいなやつなのだ。
ある友人曰く「現代病をイメージした曲」。ホームは鬱蒼とした森に囲まれているので、余計に不気味に感じる。
さらに、列車が発車した後にホームゲートが閉まるときには、映画「白い恋人たち」のテーマ曲(ピアノアレンジ)が流れるのだが、これがまた物悲しくてたまらない。
改札の外に出ると、やたら規模が大きい割にはローカルムード漂うコンコースに出た。改札の横には峠の釜めしで有名な「おぎのや」の売店があり、また、そこそこの広さの待合室もあった。

安中榛名駅。
駅前の駐車場は意外にも大盛況で、満車になっていた。新幹線利用客に限り無料で利用できるようなので、これは穴場なのかもしれない。また、駅前からは信越線磯部駅行きのバスが出ているが、こちらは閑散としていた。

開業当時は本当にとんでもない秘境駅だったようだが、東京駅まで最速59分という地の利を生かし、JR東日本によって「びゅうヴェルジェ安中榛名」という住宅地が開発されているようだ。とは言え、駅前に建物らしい建物は全く見あたらない。
それにしても本当に静かなところだ。鳥と虫の声しか聞こえない。ときどき駅のアナウンスと新幹線の通過する音が静寂を切り裂く。

やけに広い駅前の通りをしばらく歩くと、信号機があった。どうやらこれが安中榛名で唯一の信号のようだ。が、交通量がほぼゼロなので、こんなふうに車道から堂々と撮影できる。
この交差点で、ようやく1軒のコンビニ(デイリーヤマザキ安中榛名店)を見つけた。これもどうやら安中榛名で唯一のお店らしい。ただし24時間営業ではないようだ。びゅうヴェルジェ安中榛名のコミュニティプラザを兼ねているようだが、ひっそりとしていた。
さらに駅前の通りを南下すると、不思議な構造物が見えてきた。

天空の丘というらしい。ちょっとシュールな光景だ。この先は一体どうなっているのだろう、と思いながらモニュメントをくぐると、

意外にも住宅がたくさん建ち並んでいた。駅の周辺に何もなかったのは、近隣商業地域に指定されているから、すなわち住宅用の区域ではないからだ。大型商業施設でも誘致するつもりなのだろうが、この状況じゃどこも出店したがらないわな。

とはいえ、街は徐々にできつつあるようだ。犬の散歩をしている人や、庭いじりをしている人なんかもいたりして、生活感は感じられる。車さえあれば、さほど生活には困らないのかもしれない。

このあたりの地名は「秋間みのりが丘」となっている。まさに東京郊外のベッドタウンといった雰囲気だ。

なかなかお洒落な住宅街だ。しばらく散策してみたが、一応それなりのニュータウンができつつあるように見える。安中榛名駅の利用者数も、年々増え続けているようだ。
再び安中榛名駅に戻り、磯部駅行きのバスに乗った。小さくて可愛らしいバスだ。

気さくな運転手さんと談笑しながらバスに揺られる。平日の朝は新幹線通勤の人を5人くらい乗せるそうだが、それ以外は地元のお年寄りや学生ばかりとのこと。また、今日は曇っていてよく見えないが、独特な形が美しい妙義山を、せっかく群馬に来たのならぜひ見るべきだ、と教えてくださった。
「妙義山は横川の方から見たんじゃだめだよ、嫁の背中を見てるみてぇで迫力がねぇ」という言葉が妙に印象に残った。
乗客は途中まで私一人だったが、途中の碓氷病院前のあたりから数名乗ってきた。このあたりは旧中山道が通っているためか、ちょっとした街になっていて、小規模な商店街もあった。
20分ほどバスに揺られ、終点の「磯部駅」の1つ手前の「磯部温泉」で降りた。

磯部温泉街。いい具合にひなびた温泉街だ。
この磯部温泉は、誰もが知っているあの温泉記号(
)の発祥の地なのだそうだ。1661年に幕府から出された評定文の添付図にこの記号が描かれており、それより古い資料が見つかっていないことから、ここが温泉記号発祥の地となったわけだ。街中には足湯もあり、若い人も多く賑わっていた。この日はこの磯部温泉に泊まることにした。

創業100周年の老舗旅館、旭館さんで。
ちなみに私は、群馬県に来るのはこれが初めてである。首都圏で唯一足を踏み入れたことが無かったのが群馬県で、それもあって今回はここに泊まることにしたのだ。これで経県値、一気に4UP。
群馬県といえば、「日本一影が薄い都道府県」の座を栃木県と争っているらしいが、最近は某お笑い芸人の出現で、栃木県にすら負け続けているという。何だかあまりに群馬県民が気の毒だ。この旅行を機に、ぜひとも群馬県の魅力を再発見してみようと思う。
次回はやっと2日目。磯部温泉街の周辺を散策した後、碓氷峠と峠の釜めしで有名な横川を目指します。
(続く)
2009.11.06
ちょっと遠回りな東京旅行(2009.9) その3
(前回からの続き)
善光寺を参拝した後、善光寺と長野駅のちょうど中間に位置する権堂(ごんどう)地区にやって来た。ここは長野一の歓楽街として知られ、昔から善光寺参りの精進落としで賑わったそうだ。

中央通りの1本東側を並行する表権堂通り。旧北国街道にあたるそうだ。
手前に郵便局が見えるが、残念ながら今日は休日なので開いていない。奥に見えるのは権堂通りのアーケードだ。

表権堂通りの1本東側の裏権堂通り。大正期までは表権堂通りと裏権堂通りが権堂地区の2大メインストリートだったようだが、現在は権堂通りのアーケード街に賑わいが移り、こちらは完全に裏路地的な雰囲気となっている。
この裏権堂通りは、権堂地区の中でも特に飲食店が多い。この界隈はどういうわけか、やたらハングルの看板が目立つ。ちなみに左側の看板は「食品店」「ビデオ」と書いてある。

そして現在の権堂地区のメインストリート、権堂通り商店街にやって来た。1961年に県内で初めてアーケードが設置され、現在のアーケードは1995年にリニューアルされた二代目。全蓋式アーケードの商店街は長野市内でここだけだ。
休日のためか閉店しているお店も多いが、若い人からお年寄りまで人通りが多く、地域の人々に親しまれているのがよくわかる。
さて、そろそろお昼だ。長野に来たんだから、どうせなら蕎麦を食べようと思ったのだが、権堂通り商店街にあった蕎麦屋が残念ながら臨時休業。
何かいいお店はないだろうかと、裏権堂通りのさらに東側を並行する秋葉横丁をぶらぶらと歩いていた。ここもなかなかいい雰囲気だ。

何やらいい匂いがするぞ。よく見ると「ラーメン」の文字が。
ということで、蕎麦のことなどすっかり忘れてラーメン「ミソラ野」さんにお邪魔した。

辛みそラーメン(中辛)。
おお、これは今までにあまり食べたことのない独特な風味。なかなか美味しいぞ。一緒に注文したシュウマイには、お好み焼のソースのようなのがかかっていて、これもまたいける。
ごちそうさまでした。
満腹になったところで再び権堂通り商店街へ。するとこんな看板が。

私道につき通行禁止、というのはよく見かけるが、こういうのは珍しい。うーん、なんて心が広い長野人。
権堂通り商店街を東へ抜けると、西鶴賀商店街というところに出てきた。

裏権堂通りや秋葉横丁もいいが、この場末感(失礼)もまたいい。なんでも、かつてはこの少し先に「鶴賀新地」という遊郭があって、そこへのアクセス道路として栄えたそうだ。どうりで名古屋の中村銀座商店街と同じ匂いを感じたわけだ。

こんな路地もあちこちに残っている。これはたまらん。景観保護地区に指定してほしい。
もう少し散策してみたい気もするが、そろそろ時間なので再び権堂通り商店街に戻り、商店街の中ほどにある権堂駅から長野電鉄(ながでん)の電車に乗ることにした。

権堂駅。なんと地下駅だ。長野の人はこの長電のことを「地下鉄」と呼ぶとか呼ばないとか。
地方都市の中小私鉄で地下駅というだけでもまあまあ珍しいが、ここは長野・市役所前・権堂・善光寺下と4駅連続で地下になっていて、本当に地下鉄みたいな雰囲気なのだ。
が、そんな都会的な雰囲気かと思えば、改札の向かい側では野菜や手縫い座布団を売っていたりする。このギャップがたまらない。

権堂から終点の長野駅までは5分ほどで到着した。乗ってきた電車は向かって右側、ステンレス製の2両編成(3500系3508F)で、かつて東京の営団地下鉄で走っていた車両らしい。休日の真っ昼間だが、そこそこ混んでいた。
さて、そろそろ長野の街ともお別れ。いかにも門前町らしく穏やかな風情が漂う長野の街は、城下町の重々しく引き締まった雰囲気とはまた違った魅力があると感じた。
次回は長野駅から長野新幹線に乗り、一路東を目指します。と言っても、まだ東京には行きません。
この連載、一体いつ終わることやら・・・
(続く)
善光寺を参拝した後、善光寺と長野駅のちょうど中間に位置する権堂(ごんどう)地区にやって来た。ここは長野一の歓楽街として知られ、昔から善光寺参りの精進落としで賑わったそうだ。

中央通りの1本東側を並行する表権堂通り。旧北国街道にあたるそうだ。
手前に郵便局が見えるが、残念ながら今日は休日なので開いていない。奥に見えるのは権堂通りのアーケードだ。

表権堂通りの1本東側の裏権堂通り。大正期までは表権堂通りと裏権堂通りが権堂地区の2大メインストリートだったようだが、現在は権堂通りのアーケード街に賑わいが移り、こちらは完全に裏路地的な雰囲気となっている。
この裏権堂通りは、権堂地区の中でも特に飲食店が多い。この界隈はどういうわけか、やたらハングルの看板が目立つ。ちなみに左側の看板は「食品店」「ビデオ」と書いてある。

そして現在の権堂地区のメインストリート、権堂通り商店街にやって来た。1961年に県内で初めてアーケードが設置され、現在のアーケードは1995年にリニューアルされた二代目。全蓋式アーケードの商店街は長野市内でここだけだ。
休日のためか閉店しているお店も多いが、若い人からお年寄りまで人通りが多く、地域の人々に親しまれているのがよくわかる。
さて、そろそろお昼だ。長野に来たんだから、どうせなら蕎麦を食べようと思ったのだが、権堂通り商店街にあった蕎麦屋が残念ながら臨時休業。
何かいいお店はないだろうかと、裏権堂通りのさらに東側を並行する秋葉横丁をぶらぶらと歩いていた。ここもなかなかいい雰囲気だ。

何やらいい匂いがするぞ。よく見ると「ラーメン」の文字が。
ということで、蕎麦のことなどすっかり忘れてラーメン「ミソラ野」さんにお邪魔した。

辛みそラーメン(中辛)。
おお、これは今までにあまり食べたことのない独特な風味。なかなか美味しいぞ。一緒に注文したシュウマイには、お好み焼のソースのようなのがかかっていて、これもまたいける。
ごちそうさまでした。
満腹になったところで再び権堂通り商店街へ。するとこんな看板が。

私道につき通行禁止、というのはよく見かけるが、こういうのは珍しい。うーん、なんて心が広い長野人。
権堂通り商店街を東へ抜けると、西鶴賀商店街というところに出てきた。

裏権堂通りや秋葉横丁もいいが、この場末感(失礼)もまたいい。なんでも、かつてはこの少し先に「鶴賀新地」という遊郭があって、そこへのアクセス道路として栄えたそうだ。どうりで名古屋の中村銀座商店街と同じ匂いを感じたわけだ。

こんな路地もあちこちに残っている。これはたまらん。景観保護地区に指定してほしい。
もう少し散策してみたい気もするが、そろそろ時間なので再び権堂通り商店街に戻り、商店街の中ほどにある権堂駅から長野電鉄(ながでん)の電車に乗ることにした。

権堂駅。なんと地下駅だ。長野の人はこの長電のことを「地下鉄」と呼ぶとか呼ばないとか。
地方都市の中小私鉄で地下駅というだけでもまあまあ珍しいが、ここは長野・市役所前・権堂・善光寺下と4駅連続で地下になっていて、本当に地下鉄みたいな雰囲気なのだ。
が、そんな都会的な雰囲気かと思えば、改札の向かい側では野菜や手縫い座布団を売っていたりする。このギャップがたまらない。

権堂から終点の長野駅までは5分ほどで到着した。乗ってきた電車は向かって右側、ステンレス製の2両編成(3500系3508F)で、かつて東京の営団地下鉄で走っていた車両らしい。休日の真っ昼間だが、そこそこ混んでいた。
さて、そろそろ長野の街ともお別れ。いかにも門前町らしく穏やかな風情が漂う長野の街は、城下町の重々しく引き締まった雰囲気とはまた違った魅力があると感じた。
次回は長野駅から長野新幹線に乗り、一路東を目指します。と言っても、まだ東京には行きません。
この連載、一体いつ終わることやら・・・
(続く)


